―――何よっ、あれ!人が見てないと思って…。
店を出ると追いかけて来た沙希とは駅で別れ、1人家路につきながらさっきの光景を思い出していたエリ。
同期なのだから東郷と祥子があの場に一緒にいても、何らおかしくない。
そのことについてエリはどうこう言うつもりはないが、それにしてもあれはどうなのか?
というか、少なくとも祥子は東郷のことを単なる同期とは思っていない。
これは、エリの女の勘である。
せっかく、心の中のモヤモヤが取り払われたというのに…。
エリはアパートに帰ると電気も点けず、服も脱がずにベットの上に横になって目を瞑る。
東郷の言葉を信じていないわけではないが、本当に祥子とは大学時代の知り合いというだけなのだろうか?
自分よりも祥子が東郷の隣にいる方が、合っているのではないか…。
そんなことを考えながら、いつの間に深い眠りについていた。
+++
次の日、カーテンの隙間から差し込む光で薄っすらと目を覚ましたエリは、服を着替えないまま眠っていたことで昨日の出来事を思い出す。
―――はぁ…課長と顔を合わせるのなんだか、嫌だなぁ。
こんなことで会社を休むわけにもいかず、ゆっくり起き上がるとシャワーを浴びるためにバスルームへと向かった。
なんとなく気分が晴れたように思いながら、バックの中に入れっぱなしだった携帯を充電しようと取り出すと着信とメールが数件。
それは、全て東郷からのもの。
眠っていたのだから気付かなくても仕方がないのだが、きっと東郷は心配しているはず。
はぁ…。
朝っぱらから、何度溜息をついたことか…。
取り敢えず、理由を書いたメールを返信するとエリは部屋を出た。
◇
エリからのメールを読んで少しだけホッとした東郷だったが、やはりすっきりしないのも確か。
あの後、店に戻ると他のみんなは自分達の話で盛り上がっていて東郷の行動には気付かなかったが、祥子だけは違う。
「もしかして」
「バレたか」
なんとなく彼女の存在をほのめかすようなことを言ってはいたが、まさか相手がエリだったとは…。
それには、祥子も驚いた様子。
「へぇ、一士が城崎さんをね」
「お願いだから、周りには黙っててくれよ」
「知られたくないんだ」
「そういうわけじゃ」
「まぁ、同じ職場って色々あるものね。今のは、見なかったことにしてあげるわ。でも…」
祥子もお酒が入って、少々度が過ぎた行動を取ったなと今になって気付いても遅いわけで…。
東郷を口説こうという気が全くなかったわけではないが、付き合っている彼女がいる相手を奪おうという気持ちはサラサラない。
「まいったな、今のを見られたみたいだ」
「そんな暢気なことでいいわけ?彼女を追いかけなさいよ」
「なんだか、言い訳っぽくないか?」
追いかけて何か言ったところで、東郷には言い訳にしか聞こえないような気がしていた。
実際、言い訳なんだけど…。
「いいじゃない、言い訳でも。誤解されて変なことにでもなったら、私が恨まれるわ」
「そうならないよう、っていうか俺も真剣に困るんでね」
これでエリと別れるようなことになっては、東郷自身が困るのだ。
「だったら尚更、言い訳でもなんでもしておかないといけないんじゃないの?」
昔から知っているだけに東郷の想いを察した祥子は、この際言い訳でもなんでもして、許してもらうしかないのだと思った。
「あぁ」
「もうっ。30にもなって、しっかりしなさいよ」
さっきまで東郷に甘えていた祥子がいきなり大きな声を出して彼の背中を思いっきり叩いたものだから、同期のみんなの視線が一気に二人に集まった。
―――さて、どうしたものか…。
祥子に叩かれた背中の痛みを堪えながら、東郷はエリになんと言えばいいのかを一生懸命考えていた。
◇
エリが会社に着いくと東郷は既に先に来ていて、パソコンの画面を真剣に覗いている。
「おはようございます」
「あっ、おはよう」
挨拶しても目も合わそうとしない東郷に、エリは心の中で『何よ、その態度は!』と毒づいてみる。
悔しいけど、大人の余裕?
あれくらい、社交辞令なの?
エリは自分の席に座ると、パソコンのスイッチを入れた。
その日は一日中会議だったのか、東郷は席にいることはほとんどなく、それがかえってエリには都合がよかったように思う。
「ねぇ、エリ。課長から、なんか言ってきた?」
心配した沙希が、エリが1人のところを狙ってやって来た。
ちょうど休憩しようと思っていたところだったので、給湯室へコーヒーを入れに行くことにする。
「メールとか入ってたけど、特に何も」
「言い訳しないところなんて、課長らしいじゃない」
「そう?なんか、大人の余裕って感じでちょっと嫌かも」
「まぁね。だけど、課長にそんな気はないんでしょ?だって、エリだけだもんね」
「そんなこと…」
「さっきも見てたわよ、携帯」
「別に携帯なんて、普通に見るんじゃないの?」
沙希のことだから、また東郷の背後から覗いたのだろうか?
「今度は覗いたわけじゃないけど、あの顔は間違いないわね」
「私には、どうでもいいけどぉ」
「何、ヤケになってんのよ。エリの気持ちもわからないでもないけどね、課長の話はきちんと聞いてあげるのよ。カーッとなったり、しちゃだめよ」
「わかってるわよ」
エリだって、東郷と別れるとかそこまで考えているわけじゃない。
彼の言葉を信じているけれど、なぜか不安になってしまう。
―――自分は、まだ子供なのだろうか?
また、幾度目かの溜息を吐くエリだった。
◇
『東郷課長、どうしたんだ?』
『なんか、いつものキレもなくて歯切れも悪かったしな』
会議から戻って来た者達が、口々に発した言葉。
それを耳にしたエリも、少々気になるが…。
「城崎さん、第一会議室に来て欲しいって」
「え、私ですか?」
「何の用かはわからないんだけど、呼んで来てくれって頼まれたから」
―――何かしら?
東郷はまだ戻って来ていないところを見ると、呼んでいるのは彼なのか?
言われた通りに急いでエリは第一会議室へ向かうが、ノックをして部屋に入ると中にいたのは東郷ともう1人…。
「ごめんなさいね、呼び出したりして」
そこにいたのは、東郷と祥子だった。
一体、何が始まるのだろうか?
「いえ」
「ここに来てもらったのは、仕事の話じゃないの。取り敢えず、座って」
「はぁ」
―――仕事の話じゃないとなると、もしや…。
東郷は俯いたまま、エリの中に緊張が走る。
「あんまり一士が、東郷課長がひどいもんだから」
「あの…」
「その前に謝らなければならないのは、私の方ね。昨日は、ごめんなさい。あの行動は、軽率だったと反省してる」
「え?」
いきなりの祥子の謝罪の言葉に、エリは驚きと共に拍子抜け。
「会議がめちゃめちゃだったのよ、東郷課長のおかげでね。それもこれも、私のせいでもあるんだけど」
「いや、これは俺が」
「課長は、黙ってて」
初めて口を開いた東郷だったが、祥子によってそれを遮られる。
さすが祥子と、エリは妙に感心したりして…。
「本当にごめんなさい。私は、二人の仲をどうこうするつもりはないってことをここではっきり言わせてもらうわ。だから城崎さん、課長を許してあげてね」
「私は…」
「課長が、こんなにダメダメだとは思わなかった。城崎さんにきちんと話してなかったんでしょ?私は先に戻ってるけど、後は二人で話して」
そう言うと、祥子は会議室を出て行った。
暫くの間、沈黙が続く。
「ごめん」
「それは、何に対してのごめんですか?」
「エリが見ていないところで、湯川さんにああいうことを許したことに対して」
「本当に反省しています?」
「あぁ」
しゅんとなってしまっている東郷が、なんだかかわいそうに思えてくる。
「私は、課長を信じてもいいんですか?」
「それは、もちろんだよ。俺には、エリしかいないんだから」
「だったら、誠意を見せてください」
「誠意?」
エリの言う誠意とは、なんなのか?
「携帯です」
「携帯?」
「待ち受け画面を見せてください」
「え…それをどうして…」
こんなことでもなければ、沙希の言っていた待ち受け画面の自分の画像など見ることはできないだろう。
仕方なく東郷はポケットから携帯を取り出すと、エリに見せる。
それを見たエリは、一瞬微笑むと…。
「課長、今夜部屋に行ってもいいですか?」
「え?もっ、もちろんだよ」
その後の東郷の変わりようを見て、祥子はホッと安堵したのだった。
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