素直になれなくて
STORY14


さっき携帯にメールが入ったと思ったら、それは東郷からのものだった。
しかし、彼が仕事中に送ってくるのは珍しい、何かあったのかしら?と心配したのもつかの間、内容を見てエリは周りに人がいるのも忘れてニヤケてしまう。

『一緒に帰ろう』

たったこれだけの短い文章だったけれど、なぜかとても嬉しくて…。
祥子とのことを疑って危うく二人の間に亀裂が入るところだったが、それも当の彼女のおかげで事なきを得た形になった。
思っているほど、彼女は嫌な人ではなかったのだと思う。
それを沙希に話したら、『湯川さんがねぇ』と驚いていたけれど。
エリ自身も祥子の印象が変わったのは確かだったが、東郷との仲を知られてしまったなという恥ずかしさもあったかもしれない。

「でも、よかったじゃない。別れるようなことにならなくて」

周りに人がいないことを確認すると沙希がエリのところまでやって来て、空いている席に座って小さな声で話掛けた。

「不吉なこと、言わないでよ」
「だって、そうでしょう?もしかして、湯川さんが課長のことを取っちゃったかもしれないじゃない。まぁ、実際彼女はそういう人ではなかったけど。っていうか、課長がそんなことは絶対にしないと思うけどね」

ふと、エリは東郷の席に目を向ける。
彼は今、会議中でそこにはいないが、確かに沙希の言う通りだと思った。

「後は、エリが素直に課長の胸に飛び込むだけね」
「え?」

意味深な笑みを浮かべながら言う沙希だったが、これは友達としての願いだった。
本当は、東郷のことがすごく好きなのにそれを素直に言えない。
そこがエリの良さではあったけれど、もう少し甘えてもいいのにと思う。

「エリがそういうの柄じゃないのはわかるけど、いつまでもねぇ。もっとこう、情熱的な恋愛をしないと。私みたいにね」

いい男には目がない沙希だったけど、彼氏とはどんな恋愛をしているのだろうか?
情熱的とは…。

「私には、似合わないもの」
「また、そういうことを言う。課長が大人だからって、それに合わせることなんてないの。若さでぶつかりなさい、若さで」
「そういうもの?」
「そういうものよ。いい?後で、ちゃんと報告するのよ?」

何を報告するのか…。
それ以上ツッコまなかったけれど、一回くらい沙希の言うことを聞いてみようかしら?
と思うエリだった。

+++

今日は残業0(ゼロ)の日ということもあって、みんな定時の鐘が鳴ると早々に仕事を切り上げて帰って行く。
エリも東郷と一緒に帰るために帰り支度をしていると、彼も支度を済ませてやって来た。

「エリ、もう帰れるか?」
「え?」

まだ会社の中だというのに東郷は、エリを名前で呼んだ。
幸い、周りにはほとんど人がいなかったので聞かれる心配はなかったようだけど…。

「はっ、はい」
「じゃあ、行こうか」

てっきりどこかで待ち合わせて帰るものだとばかり思っていたエリは、肩を並べて歩くことに恥ずかしさを覚えつつも彼の想いを感じてなんだか嬉しかった。
東郷は車通勤だったので、駐車場まで行くと助手席のドアを開けてくれた。
彼は車に乗る時、必ずドアを開けてくれるのだが、エリはどうもそういうのが苦手でつい自分で開けてしまうと『俺が開けるから』と怒られる。
案外、紳士なのねと思ったりして…。

「いいんですか?みんなに見られたかもしれないですよ?」
「わざと見せつけた、つもりなんだけど」
「え…」

わざと見せつけたって…。
だいぶ日が短くなってきたとはいっても、二人で歩いていれば知っている人に見られてもおかしくない。
なのに東郷は、わざとそうしたというのか…。

「エリは、嫌だった?」
「そういうことは」
「なら、問題ない」

東郷は、ゆっくりと車を走らせる。
その間ずっとエリは彼の横顔を見ていたのだが、赤信号で止まった時に温かいものが手に触れた。

「課長、きちんとハンドルを握って下さい」
「エリにそんなふうに見つめられて、平然としていられるほど俺はできた人間じゃないさ。今すぐにでも抱きしめて、キスしたいくらいなのに」

彼の大きな手が、エリの手を包み込んで離さない。
熱いものが、彼の体を通してエリの中に流れ込んでくる。

「そんな、恥ずかしいことを言わないで下さい」
「照れることないだろ?二人っきりなんだから」

そう言って、クスクスと笑う東郷。
―――いくら二人っきりだかって、恥ずかしいものは恥ずかしいのよ。
手を離そうとしても、彼がそれを許さない。
もうっ、危ないっていうのにぃ。

「課長、離して下さい」
「エリ」

ワントーン低いこの呼び方は、エリに名前で呼んで欲しいという合図。
短い付き合いではあったけれど、彼の言動が段々とエリにもわかるようになっていた。
そう言われても普段なら無視するところだが、さっきの沙希の言葉を思い出して今だけは仕方なく(←ここ大事)聞いてあげることにする。

「一士」

ニッコリ微笑みながら東郷の名を呼んで、おまけに彼の手にキスをおとしてみたりして…。
―――うわぁっ、私ったら何やってるわけ?!
自分でやっておきながら、妙に動揺しているエリ。
その時の東郷の表情など、見る余裕もなかったのだが…。

すると車は通りかかったコンビニの駐車場に入って止まり、エリの視界は黒いものに遮られたと思ったら、柔らかいものが唇に触れる。
あまりに一瞬の出来事で、理解するまでに少しだけ時間を要した。

「ちょっ…か…一士。こんなところでっ」
「あのなぁ、俺だって我慢してたのにエリが悪いんだぞ?」

なんとか家に着くまでと理性と戦っていた一士だったが、不意のエリの行動に我慢することができなかった。

「だからって…」
「エリ」

言葉を遮るように再び東郷の唇が重なった。
それは彼にしては控えめなものだったのに、逆に火をつけたのはエリの方だった。
エリは東郷の首に腕を回すと、すかさず舌を入れる。
予想すらしていなかった大胆なものに東郷は戸惑いを覚えつつも、心地よさが上回っていた。

「一士、愛してる」
「俺も愛してるよ」

いつまでもお互いの唇を離すことができなくて、暫くの間、車は駐車場に止まったままだった。


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