素直になれなくて
2nd STORY
STORY11
―――はぁ…。
やっぱり、おかしいよな俺…。
磯崎は、朝から溜め息ばかり吐いていた。
抑えようとしても勝手に口から出てしまうのだから、こればかりはどうしようもない。
仕事の話をしている時、会議中でもふと彼女が何気なく自分の手を見つめる瞬間、どうしようもない思いに駆られる。
これが恋なのだとは認めたくないが、健斗が見れば『そりゃぁ、恋煩いだな』と即答するだろう。
―――あぁ、なんっつうことだ。
この俺が、恋煩いなんて…。
そんな思いを振り切るように磯崎は頬を数回叩くと、パソコンの画面に向かい作りかけていた資料の続きに取り掛かった。
◇
磯崎が時折溜め息を吐いたり、視線を宙に浮かせたままジッと考え事をしている姿を隣に座っているエリが、見逃すはずがない
―――磯崎さん、どうしたのかしら?
彼は若いけど落ち着いているし、仕事もできるから、あまりそういう姿を見ないだけにとても心配だった。
もしかして、どこか悪いのかしら?
毎日食堂でご飯を食べているから、体に悪いんじゃないかと思ってたのよね。
余計なお世話だけど、早く彼女を作るか一士のように料理に目覚めてくれればいいんだけど…。
エリ自身もそんなに男性のことで気になったりはしないのだが、なぜだろう?磯崎だけは別だった。
気になるというか、放っておけないというか、彼は口は悪いし、つっけんどんだけど、本当は強がっていて寂しがりやなんだと思う。
彼女を作るのは面倒だとか言っていたのも、きっと違う。
相手に甘えられるのが苦手、逆に自分が甘えたい方なんじゃないか。
エリは、そんな気がしてならなかった。
「磯崎さん、どうしたのかな?なんか、元気ないみたい」
お昼を一緒に食べていた麻菜美も気に掛かっていたようで、エリが言おうと思っていたことを先に言われてしまった形だった。
「そうなのよ。どうしたのかな?体調でも悪いのかなって」
「あれは体調が悪いって、感じじゃないわね」
「え?じゃあ、なんなの?」
てっきり、食事のせいとばかり思っていたエリ。
勘の鋭い麻菜美と違って、エリはこういうところは少し鈍感だったかもしれない。
というのも、彼女を敢えて作らないようにしている磯崎が、まさか恋煩いとは思わないだろう。
「彼女と何かあったのね」
「彼女?」
かなり確信をもって言い切る、麻菜美。
―――そうだった。
麻菜美ちゃんは磯崎さんが何でリングをしてるのか、知らなかったのよね。
『俺とあんただけの秘密だからな』
約束したから、いくら麻菜美ちゃんでもこればっかりは言えないのよ…。
「そう、絶対彼女と何かあったのね」
「どうして、そう思うの?」
「だって、溜め息を吐いたり、何か物思いにふけるような様子から見て、絶対間違いないと思う。あの感じだとフラれちゃったのかな」
―――フラれちゃったって…。
磯崎さんは誰とも付き合ってないはずなんだから、それはないと思うのよね。
「それは、ないんじゃない?だってほら、リングもちゃんとしてたし。別の心配事かもしれないでしょ?」
これは勝手な憶測であって、友達のことだったり、家族のことだったり、何か別の問題を抱えているのかもしれない。
「そうかもしれないんだけど、どうしてもそう思っちゃうんだもん」
『あれはダミーリングで、彼女はいないのよ』と喉元まで出かかったが、約束した以上それを言うわけにはいかない。
―――でも…。
麻菜美がそう思うということは、もしかして女性に関することが少なからずあるのかもしれない。
まぁ、ここで他人のことを色々話したってしょうがないことなんだけど。
「心配だけど、これは磯崎さんの問題だから。私達が、とやかく言うことでもないでしょ」
まだ何か言いたそうな麻菜美だったが、エリの言う通りそれ以上磯崎の話をすることはなかった。
+++
それからも磯崎の様子は相変わらずだったが、エリがいつものように出社すると朝っぱらから何やら騒がしい。
「おはようございます。どうしたんです?何かあったんですか?」
席を外しているのか磯崎の姿はそこにはなかったので、向かいの席の星川に聞いてみる。
「あっ、東郷さんおはよう。いやぁ、大変なことになったんだよ」
「大変なことですか?」
―――大変なこととは、こんな朝早くから何が起きたというのかしら?
「そうなんだ。お客さんから大幅な仕様変更が入ってさ、でも予定通り納めろって。ただでさえ無理な工程なのにな。今、そのことで課長と一緒に田中さんと磯崎さんが緊急対策会議に行ってるんだ」
「そうなんですか?」
―――うわぁ、この時期に仕様変更なんて…。
星川さんは大幅なと言っていたけど、どれくらいなのかしらね?
ギリギリの工程でなんとか頑張ってやってきていたというのに、ここで振り出しに戻るようなことになれば、今までの倍以上頑張らないと挽回なんてできないかもしれない。
あぁ…。
こうなったら、週末家にも帰れなくなってしまうかも…っていうか、休みナシ?!
◇
渡部課長と田中、磯崎が席に戻って来たのは、午後になってからだった。
3人の表情は一様に険しく、事の重大さがそれだけで伝わってくる。
落ち着く暇もなくグループのメンバーが集められて、今後の対応について課長から話があったが、思った以上に大変なことになっていたようで…。
「お客さんにも無理だとは話したんだけど、どうしても聞き入れてもらえなかったんだ。応援を何人か加える予定ではあるんだけど、それでもみんなには頑張ってもらうしかないんだ」
課長の言葉にみんなは仕方ないという思いもあるが、だからといって逃げるわけにもいかないし、覚悟を決めて頑張るしかないのだと。
取り敢えず一通りの工程を確認して席に戻ると大変さとかそういうものよりも、まだ何もしていないのにどっと疲れが出てくるのはなぜだろう?
「これから大変ですね」
「あぁ、当分土日はなくなるかもしれないな。あんた、大丈夫なのか?こんなことで夫婦の間に亀裂が入っても、俺は責任持てないからな」
「やっぱり、そうなりますよね。まぁ、そういうことも覚悟の上でここへ来たわけですから、仕方ないです」
どうやら、エリがもしやと思ったことが本当になりそうだ。
―――磯崎さんは亀裂が入ってもなんて言ってたけど、これくらいのことで夫婦の絆が切れるわけじゃないもの。
毎週逢えていたのが、間がもう少し長くなるだけのこと
それもきちんと話し合った上で結論を出したのだから、一士だってわかってくれるはず。
後で、一士にメールでも入れておこうかな。
お揃いのリングにそっと手を添えて、彼の顔を思い浮かべるエリだった。
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