素直になれなくて
2nd STORY
STORY12


一士にメールを送った後に電話が掛かって来て、『週末、俺がそっちに行こうか?』と言ってくれたけれど、土日が出勤となれば二人で一緒にいる時間も取れないからと断って正解だったかもしれない。
昨日も夜遅くまで仕事をしていて、今日も日曜日だというのに朝から仕事だった。

「ハーブティーを入れたので、良かったらどうぞ」

エリは、一息つこうと自分の分のハーブティーを入れに行ったついでに磯崎の分も入れて彼の机の上に置く。
彼は一瞬躊躇ったというか、驚いたと言った方が正しいかもしれないが、「あ?ありがとう」と言ってカップに手を掛けると香りを嗅いでいる。

「ハーブティーなんてしゃれた飲み物、飲んだことないから。でも、なんだか不思議な香りがするな」
「これはローズマリーなんですけど、香りをかいでいるとすっきりしてきて、元気が出るんです。集中力も増す効果があるそうですよ」

とは、これを買ったお店の店員さんの受け売りである。
先週、自宅に帰った時に一士とショッピングに行った時にたまたま通りかかったお店で、なんとなく買い求めたもの。
“低血圧で朝の弱い方にもお勧めですよ”のひと言で、つい…。

「好きなのか?こういうの」
「いいえ、特には。先週、自宅に帰った時になんとなく買ったんですけど、結構いいですよ?」

体のことを気にし始めた一士が、うつってしまったのかもしれない。
確かに朝飲むとすっきりするし、仕事中ちょっと疲れたなと思った時などに飲めば元気も出るし、結構お気に入りだったりして。

「ふううん。そうなんだ」

磯崎は飲み慣れないせいか不思議そうな顔をしていたが、まんざらでもない様子。
それを見てホッとしたエリ。
―――磯崎さん、これを飲んで少しでも元気を出してくればいいけど…。
どこか遠くを見つめるようなしぐさや時折溜め息を吐いたり、麻菜美は磯崎に彼女がいないことを知らないから絶対そうだと言っていたけど、本当は何なんだろう?

というのも、彼の指からリングがなくなったのだ。
みんな、密かに噂をしてる。

彼女と別れたんだって―――。

『彼女がいるのかって、いちいち聞かれるのが面倒だから、してんだ。』と言っていたのに自らそれと外したということは、やはり本命の彼女ができたからなのか。
今のエリには全く関係ないことなのに…なぜか、引っかかる。

「旦那は、こっちに来たりしないのか?」
「えっ…あっ、はい。本人は来るって言ってたんですけど、来ても家で一人で待ってることになるからって私が断ったんです」
「そっか、悪いことしたな」
「磯崎さんが、謝ることじゃないですよ?」

急な仕様変更によってこうなったのだから、磯崎が悪いわけでも何でもない。
それに、離れ離れに暮らすことを選んだのはエリと一士なのだから。

「まぁ、そうなんだけど」
「うちのことは、気にしないで下さい。でも、なんだか、かえってみなさんに迷惑掛けてますね」
「ほら、あんたまだ若いから。心配されるうちが華だろ」
「なんですか、それー」

―――なんか、納得できないわねぇ。
だけど、磯崎さんの笑顔、久し振りに見たかも。

そんな膨れっ面のエリを見ながら、微笑む磯崎。
旦那には悪いが仕事でも何でもこうやって二人でいられることと、例えついででもハーブティーを入れてもらえるのは今は自分だけなのだ。

リングを外したのには特に理由があったわけじゃないが、まっさらな気持ちで彼女に向き合いたかったから。
だからといって、奪い取ろうとかそんな大それた気持ちは毛頭ない。
例え力ずくでそうしたとしても、彼女の心は絶対に自分のモノにはならないとわかっている。
彼女の左手の薬指にあのリングがある限り。



「俺達も、帰るか」

夜も8時を過ぎた頃、磯崎が椅子の背に深く凭れるとエリに向かってそう言葉を投げかけた。
一週間休みなしで働いて、さすがに疲労の色も濃くなってくる。
田中主任の方も一足先に帰宅していたのと渡部課長もあまり無理をしないようにと言っていたし、ここで飛ばして後が続かないようでは困るから。

「もう少し、これだけは今日中にやっておきたいんで」
「そんなに張り切るなって。まだまだ先は長いんだし、倒れたって俺は面倒みないからな」
「大丈夫です。私はそんなに柔じゃありませんから」

ふと、一士のことが脳裏に浮かんでくる。
―――頑張り過ぎて、倒れたんだっけ。
そもそも一士と付き合うようになったのは、彼が倒れたことがきっかけだったかもしれない。
あの時はすごく心配したけれど、今となってみれば懐かしい思い出。

「明日にしよう。俺は疲れた」
「磯崎さん、先に帰って下さい。私は、もう少しやっていきますから」
「俺だけ先に帰るわけにいかないだろ。車で送ってやるから、ほれ片付けろって」

磯崎にしてみれば自分だけ先に帰るわけにもいかず、かといってこれ以上仕事をする気力もない。
急かすように言われて、仕方なくエリは机の上の書類を片付けてパソコンの電源を切る。

「いいんですか?乗せてもらって」
「構わない。どうせ、通り道だし」

「すみません」と言って、エリは磯崎の車の助手席に乗り込んだ。
昨日も乗せてもらったのだが、志賀も一緒だったからそんなに意識することはなかった。
なんとなく、二人っきりで車に乗るのは緊張する。

「磯崎さん、リング外されたんですね」

聞いてはいけないような気がして、エリはずっと黙っていたけれど、助手席に座っているとつい手に目がいってしまうから。

「みんな、何か言ってるのか?別れたとか、フラれたとかさ」

当たっているだけにエリもなんと言っていいのか、微妙なところ。

「そういうことを言う人もいますけど、本当は好きな人ができたんですよね?」
「え?」
「良かったですね」
「まだ、何も言ってないんだけど」

好きな人ができたとも何とも言っていないのに…全部お見通しということなのだろうか?

「わかりますよ」
「ほう?すごい自信だな。っつうか、好きな人ができても、それは片思いってことだろ?ちっとも良くはないと思うが」
「そんなことないですよ。磯崎さんにとっては、一歩前進です」
「俺は、他のやつとは違うってことか?」

こんなふうに女性と自然に話が出来ることが、当たり前のようで今までそうではなかったということ。
媚びたり、猫なで声を出されると、どうしても引いてしまう。
ほんの短い距離だったが、こうしてドライブできたことがある意味幸せなのかも…。

「ありがとうございました」
「お疲れさん。明日もよろしく」
「はい、お疲れ様でした。気をつけて、帰って下さいね」

家の前まで送ってもらいエリが手を振って別れたのもつかの間、磯崎が事故に遭ったという電話が入ったのはそれからすぐ後のことだった。


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