素直になれなくて
2nd STORY
STORY15


「よぅ、おはよう。今朝は、やけに早いな」
「おはようございます。磯崎さんこそ、早いんですね。もう、大丈夫なんですか?」

磯崎のお弁当を作るためにエリは頑張っていつもより1時間早く起きて、早めに会社に来ていた。
―――昨日家に行った時には、熱も下がったし、明日は会社に行くとは言っていたが、何もこんなに早く来なくても…とエリは思う。

「もう、すっかり良くなったよ。それに、だいぶ慣れてきたし」
「そうですか。あまり、無理しないで下さいね。言ってくれれば、私が手伝いますから」
「すまないな。その時は、頼むわ」

椅子に座るなりパソコンの電源を入れて、机の上にたまっていた書類のチェックを始める磯崎。
一日休んだだけなのに、この量は半端じゃない。

「そうだ、磯崎さん。これ、良かったら食べて下さい。口に合わないかもしれないですけど」
「あ?何だ」

エリから小さなコットン製の手提げバックを机の上に置かれ中を見ると、それはギンガムチェックの布で包まれて上で結ばれている。

「これ…」

「その腕では、食堂でご飯を食べるのは大変でしょうから。お弁当を作ってきたんです」というエリに磯崎は驚きと嬉しさのあまり、立ち上がろうとして足が引っかかり誤って椅子から転げ落ちた。

「ちょっ、大丈夫ですか?磯崎さんっ」
「痛ってぇ…大丈夫…腕じゃなくて、尻が…」

思いっきり、尾てい骨を打ったが、幸い腕はどこにもぶつけなかったようだ。

「もうっ、気をつけてくださいよ」
「ごめん。っていうか、あんたが驚かせるようなことをするからだろ?」
「え…ごめんなさい。迷惑でしたね」

エリは、磯崎の左腕を掴んで立ち上がらせる。
良かれと思ってしたことだったが、こんなことは彼女でも何でもないエリにされれば、磯崎にとっては迷惑以外の何者でもなかったのかもしれない。

「いやっ、違うっ。勘違いするな」
「でも…」
「ありがとう。正直、こうしてもらえると助かる。これじゃあ食堂にも行けないし、毎日コンビニもな」

この腕では大勢の人が集中する食堂に行く気にはならないし、左手では箸もうまく使えない。
かといって毎日コンビニでは飽きてしまうと思っていたところだったので、磯崎にとっては非常にありがたいことだった。

「本当ですか?」
「あぁ、でもいいのか?帰りだって遅いし、だいたい、あんた朝が弱いのに」

………やっぱり、気にしているのだろうか…。
仕事も忙しく、毎日遅くまで残業してる。
それ以上に朝が弱いくせに、こんなこと…。

自分のせいでと、まだ思っているのではないか?
だから、こんな…。

「いえ。私、こう見えても料理は得意なんですよ。だから、お弁当くらいすぐ作れます。ちょっと、冷凍物も入ってますけどね」
「そうなのか?」
「信じてませんね?」

―――磯崎さんも、そうなんだぁ。
一士も、そうだったもんね?
『ロクに料理もできないんだろうから』なんて、ひどいこと言ってたし。
う〜ん、でも私ってそんなに料理をしない人に見えるのかしら?

「そういうわけじゃ…」
「いいですよ。食べてから、感想を聞かせて下さいね」
「あぁ」

そんな会話をしているところへ続々とグループのメンバーが出社して来て、「磯崎、大丈夫か?」と口々に声を掛けては彼の周りを取り囲む。
慌ててお弁当の入った袋を机の引き出しに隠す磯崎だったが、内心は嬉しくて仕方がない。
事故に遭って怪我をしたことは決して喜ばしいことではなかったけれど、これは誤算。
お昼休みが待ち遠しい、磯崎だった。



「よぅ、磯崎。思ったより、元気そうじゃないか。それにしても随分とまぁ、痛々しい姿だなぁ」

12時を知らせる鐘が鳴り、磯崎が手を洗って戻って来ると、自分の席に座っていたのは健斗だった。
心配して、様子を見に来てくれたのだろう。

「なんだ、健斗。心配して見舞いに来てくれたのか?にしては、手ぶらみたいに見えるのは、俺の気のせいか?」
「手ぶらとは、失礼だな。ほれ」

磯崎はわざとこういう言い方をしたのだが、作業着のポケットから何かを取り出して差し出した。
それは、綺麗にラッピングされてリボンまで掛けてある細長く四角い物。

「何だ?」
「まぁ、開けてみろっていうか。俺が、開けてやるよ」

健斗が包みを開けると中から出てきたのは、磯崎も知っているキャラクターが描かれた、誰がどう見ても子供向けとしか思えないスプーンとフォークのセットだった。

「俺は一体、いくつになったんだ?」
「お前、事故で自分の歳も忘れたのか?俺と同じ、28だろ」
「あのなぁ、俺が言ってるのはそういうことじゃなくってだな―――」
「つべこべ言うな。これしか売ってなかったんだから、仕方ないだろ。人がせっかく買ってきてやったのに」

「ったく、食堂行った時に困ると思って」と口を尖らせて話す健斗。
彼は彼なりに磯崎のことを心配して、こうしてわざわざ買いに行ってくれたのだ。
………にしても、これって。

「これは、ありがたく受け取っておくけど」

磯崎は、引き出しからエリが作ったお弁当の入った手提げバックを取り出して健斗に見せる。

「それは?」
「見ての通り、手作り弁当」
「はぁ?何だよ、それ。お前、いつの間に」
「人望だな?」

入れ替わるようにして、空いていたエリの席にどっかと腰を下ろす健斗。
彼女は、麻菜美と一緒に食堂へ行ったのだろう。

「あぁ、そうかよ。俺が出る幕は、なかったってことか」
「健斗、ありがとうな」
「今更、礼を言われてもなぁ」
「これは、もう少し経ったら使わせてもらうよ。それより、早く行かないと昼休み終わるぞ?」
「いいから、早く開けろよ」

手作りのお弁当の中身が気になるのか、健斗は磯崎がそれを開けるまで行かないつもりらしい。
誰が作ったのか、しつこく聞かれると困るが、磯崎も健斗と同じ中身を見るのが楽しみだった。

「うわぁっ、美味そう。この卵焼き、いただきー」
「こらっ、健斗っ!勝手に人のものを食うな!!」

この早業には圧巻だったが、『私、こう見えても料理は得意なんですよ』の言葉通り、見た目も綺麗だし、油物も控えめで体のことも考えているのだろう。
………それにしても、健斗のやつ。
中でも、一番美味そうな卵焼きに手をつけやがって。

「これくらい、いいだろ?誰が作ったのかは、聞かないでやるから」

「美味かったって、彼女に言っておいてくれ」そう言い残して、健斗はフロアを出て行った。
磯崎は彼の後姿に向かってもう一度、心の中で『ありがとう』と礼を言うと、エリの作ってくれたお弁当をいただいたのだった。


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