素直になれなくて
2nd STORY
STORY16
「エリさん、ちょっとちょっと」
何事でも起きたのか?興奮気味に話す麻菜美に引っ張られて、エリはフロアを出る。
「どうしたの?麻菜美ちゃん」
「磯崎さんのお弁当よぉ」
「お弁当?」
―――お弁当が、どうかしたの?
っていうか、私が作ったお弁当に何かあったわけ?
まさか、あたっちゃったとか…。
ううん、そんなことないわよね。
だって、磯崎さん元気にしてたもの…それに、美味しかったって言ってくれたし。
食事を終えてエリが自分の席に戻って来ると、磯崎は『美味しかった、ありがとう。心配して来てくれた健斗に卵焼きを一つ食べられたけど』と笑いながら話していたというのに…。
「そのお弁当が、何か?」
「誰が作ったんだと思う?薬指のリングが消えたと思ったら、急にお弁当なんて。私達がお見舞いに行った時にはそんな様子は全然なかったのに」
―――あぁ、そういうこと。
あたったのかと、びっくりしたじゃない。
それにしても、そういう情報はどこから流れるのかしらねぇ。
「ほら、磯崎さんならそういう人もいるんじゃないの?」
「まぁね。そうなんだけど、なんか気になるぅ」
「ねぇ。もしかしてそれって、みんなもそう思ったりしてるのかなぁ」
「そりゃぁねぇ、独身で一人暮らしの男の人が手作りのお弁当を持ってくれば、みんなも気になるでしょ。なんたって、あの磯崎さんなわけだし」
―――うそ…。
そこまで考えなかったけど、みんなチェックが厳しいわねぇ。
この分だと女の人だけでなく、男の人も見てる人は見てるわよねぇ?
迂闊だったかしら…。
良かれと思ってしたことが、かえって裏目に出てしまうかもしれない。
彼に迷惑が掛かっても困るし…。
―――これはちょっと、考えないといけないかも。
麻菜美にはそれとなく適当にごまかすと、エリは席に戻ったのだった。
◇
「東郷さん、これどうすればいい?このまま、渡していいかな」
残業時間に入り、今は休憩時間のせいか人もまばらになった頃、磯崎が机の引き出しから中身が空のお弁当箱が入った小さなコットン製の手提げバックを取り出してエリに渡す。
「はい、いいですよ」
エリはそれを受け取って、ふと麻菜美との会話を思い出す。
「あの、磯崎さん」
「あぁ?」
「これ、やっぱり止めた方がいいですか?」
「何で?」
「なんだか、みんなにチェックされてるみたいなんで」
「どうでもいいことを見てるやつは見てるからなぁ。俺はいいけど、あんたが困るなら無理しなくてもいいぞ」
「いえ。私は構わないんですけど、磯崎さんが色々言われるのは」
エリのことというより、こんなことで磯崎が影で噂されるのが嫌だった。
リングのこともそうだが、彼の場合こういうことは仕方がないのかもしれないけど。
「これ」
「え?何ですか」
磯崎がエリに見せたものは、キャラクターが描かれた小さなプラスチックの箱で、透けたケースの中にはフォークとスプーンが並んでいる。
「健斗がさ、健斗ってのは俺の同期なんだけど、昼に持って来たんだよ。食堂行くのに困るだろうからって。気持ちはありがたいんだけど、俺は子供かっつうの」
「あの、卵焼きを食べたって言ってた」
「そうなんだよ。あいつ、俺より先に食べやがってさ」
「ったくぅ」という磯崎が、可愛いというか健斗ではないが子供みたいに見えなくもない。
しかし、これを食堂に持って行ったらそれこそお弁当以上にみんなに何か言われるんじゃないか…。
「笑うな」
「すっ、すみませんっ…くっ…」
笑うつもりはなかったが、想像しただけでその光景が目に浮かぶ。
「だよな。これで食ってたら、みんな笑うだろ」
「そっ、そんなこと…」
「これしか売ってなかったんだってさ。まぁ、いざとなったらこいつを使わせてもらうから。あんたもなんか言われるかもしれないし、特に単身でここに来てるんだ。いらぬ噂を流されたら大変だぞ?」
「私は大丈夫ですよ。でも、健斗さんという方にも悪いですね。せっかく、買ってきてくれたんですから、ちゃんと使わないと」
「あ?これじゃあ、どっちもどっちだな」
苦笑する磯崎。
手作りのお弁当を食べていれば誰が作ったのか?彼女か?等色々言われ、キャラターのフォークとスプーンを使えば笑われる。
いずれにしても、何事もなく済むことはないのかもしれない。
「じゃあ、一週間だけお弁当作ってきます。それなら、いいですか?」
「あんたの好きにすればいいさ」
それから一週間だけエリはお弁当を作ってきて、その後はあの可愛いキャラクターのフォークとスプーン持参で食堂に行く磯崎の姿が一躍有名に…。
「磯崎さん、お弁当じゃなくなっちゃったのね」
目ざとい麻菜美は食堂で早速、磯崎がお弁当をやめて食堂にキャラクターのフォークとスプーンのセットを持参しているのをチェックする。
「そうみたいね」
「で、今度はあの可愛いフォークとスプーンを持たされたんだぁ」
「あれは、お友達の健斗さんっていう人にもらったんだって磯崎さん言ってた」
「健斗さんって、ソフトウェア開発部の?」
「麻菜美ちゃん、知ってるの?」
「うん。ちょっと素敵な人だから」
―――へぇ、麻菜美ちゃんは渡部課長以外にも素敵とか思う人がいるんだぁ。
「ふううん、麻菜美ちゃんのタイプなんだぁ」
「課長の次だけど」
やっぱり、課長が一番だという麻菜美。
若くて可愛いのだからみんな彼女のことを狙ってるのに、エリは少しもったいないように思えた。
そんなところへやって来たのは。
「えっと、東郷さんに佐伯さん」
「あっ、榊さん。磯崎さんも」
―――健斗さんは、榊さんって言うのね?
苗字を聞いていなかったエリは、麻菜美が名前を呼んだことで初めて知った。
「一緒にいい?」
「はい、どうぞ」
近くに座っていたのをわざわざ席を移動して、エリと麻菜美のところへ二人がやって来たのだった。
「いやぁ、こいつが恥ずかしいってさ」
「うるせぇよ。お前がくれたんだろうが」
男二人では恥ずかしかった?!かどうかは微妙だが、ここはそういうことにしておこう。
―――それにしても、似合わない…。
「見るなっつうの」
「可愛いですよ」
「うるせぇ」
「おい、磯崎。そんな言い方したら、東郷さんにも俺にも失礼だろ」
「はぁ?」
「ごめんねぇ、東郷さん」とニッコリ微笑む健斗は、なるほど麻菜美の好みかもしれない。
エリも彼のことを遠目には見たことがあったが、こうやって面と向かって話をするのは初めてだった。
「そうだ。東郷さんと佐伯さん。今度、飲みに行こうか。こんなやつは置いてさ」
「こんなやつってなぁ…」
健斗は磯崎を無視して話し出すと、すぐに食い付いたのは麻菜美。
「行きますぅ」
「おっ、佐伯さん。ナイス・リアクション。じゃあ、東郷さんは?」
ここのところずっと忙しくて、エリも自分の歓迎会の時以来、すっかり飲みに行くのもご無沙汰だったし、たまにはいいかもしれない。
が…。
「私は、磯崎さん次第です。一応、上司ですので」
「一応って何だよ、一応って」
「磯崎、東郷さんをこき使ってないでたまには休養させろよ」
「はぁ?何で、俺がっ」なんて磯崎の言葉など聞くことすらなく、健斗は「決まり!いつにする?」とエリと麻菜美の方へ顔を向けて飲み会の計画を立てている。
そんな3人を見て磯崎は呆れ顔だったが、健斗の言う通り休養も必要。
「俺も入れろよ」と会話に入る磯崎の表情は、とても明るいものだった。
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