素直になれなくて
2nd STORY
STORY2
『エリ?』
「うん。今どこ?」
『まだ、会社』
「ごめんね、電話して」
『別に謝ることじゃないだろう?俺も少ししたら、電話しようと思ってたところだし』
異動初日、定時で帰って来たエリは、適当に食事を済ませて一人の暇な時間を持て余していた。
つい携帯に手が伸びて一士に電話してしまったが、この時間ならまだ会社にいるのは普通だったことをすっかり忘れていた。
―――あぁ、悪いことしちゃった。
『どうした?そっちは、大変なのか?』
黙りこくっているエリが心配になった一士が問い掛ける。
「ううん、全然。今日は仕事らしい仕事なんてしてないし、定時で帰って来て暇を持て余してたところ」
『それで、俺のところに電話を掛けてきたのか』
てっきり寂しいから電話を掛けてきたのだとばかり思っていた一士だったが、暇を持て余していたからだったとは…。
「ごめんね」
『いや、いいけど。で、そっちはどうなんだ?やっていけそうか?』
「それがね。なんだかとんでもない人が、上司になちゃったみたい」
『とんでもない人?』
エリは磯崎のことを一士に話したが、東郷を西郷と間違えた辺りではクックックッと周りを気にしてか笑いを抑えているのがわかったし、こっちは真剣に話しているのに妙に楽しそう。
「ちょっと、一士ったら。笑ってないで、ちゃんと聞いてよ」
『聞いてるだろ。それで、その磯崎って彼はいい男なのか?』
「はぁ?」
話が逸れているように思ったが、彼はいい男なのか?と聞かれればいい男だったと思う。
横顔しか見ていないからなんとも言えないけれど、睫毛も長かったし、鼻筋も通っていたし。
「横顔しか見てないからわからないけど、多分いい男なんじゃない?」
『そっか、それは問題だな』
「何それ」
―――いい男だったら、何が問題なのかしら?
エリには、さっぱりわからない。
『俺が異動になって、エリの上司になった時、どうだった?』
―――どうだった?って、言われても…。
『俺のこと、あんまりいい印象持ってなかっただろ?』
―――確かに…。
言われてみれば、そうだった。
正論だとはわかっていても、いちいち細かいし、嫌われてるのかと思うこともあったし。
だけど、それと磯崎さんが問題だっていうのとどういう関係があるの?
「そうだけど」
『エリは、俺みたいなタイプに弱いんだよ。ということは、彼も同じなんじゃないかなって』
「それって。私が、磯崎さんのことを好きになるってこと?」
―――そんなこと、絶対あり得ない。
誰が、あんなつっけんどんで、遊び人風な人を好きになるって言うのよ。
『っていうか、彼がエリを好きになるかもしれないってこと』
「え?」
―――磯崎さんが、私を?
『俺もそうだったからさ。なんとなく、そう思っただけ』
「一士の考え過ぎでしょ。私は結婚してるんだし、磯崎さんだってそれを知ってるもの。だいいち、彼の薬指にはリングがあったんだから」
エリと一士は入籍こそしたものの、式は挙げていない。
だから、薬指にリングを嵌めていなかったが、結婚していることは周りも知っているはず。
それにちらっと見た時に磯崎の薬指には、間違いなくリングがあった。
あれはファッション的なものではなかったし、例えそうだったとしても彼女がいない男性があの指にリングは嵌めないだろう。
『なら、いいけど。あっ、そうそう。エリ、飲みに誘われても飲めないって言っとけよ』
「なんで?」
『なんでって、エリは一度飲み始めると半端じゃなく飲むだろ。お持ち帰りされたらどうするんだ』
「何?お持ち帰りって。私は、そんな軽い女じゃありませんっ」
―――何よ!自分の奥さんを信用できないわけ?
『わかってるけど、エリは意識がすっ飛ぶくらい飲むだろうが。いくら本人がそう思ったって、相手が強引に連れて行くかもしれないだろ』
一士の言う通り、エリは一度飲み始めてしまうと半端でなく飲んでしまう。
本人にその気がなくても、誰かにお持ち帰りされてしまう可能性は無きにしも非ず。
ただ、そんな奇特な人が存在するかどうか…。
「私をお持ち帰りするような人は、いないと思うけど」
『そうだといいけど』
信じていない一士にこれ以上話すと、何を言われるかわからない。
それにすっかり暇もつぶせたし…。
「忙しいのに電話してごめんね、切るから」
『そんなことないよ、楽しかった。また、面白い話を聞かせてくれよ。彼のこととか』
「もう、しないわよ。おやすみ」
『おやすみ』
―――もうっ、なんなのよ。
離れ離れになるって、寂しがってたはずなのになんなの?これ。
携帯の電源を切るとエリは、大きく溜め息を吐いた。
+++
「おはようございます」
「おはよう。東郷さん、早いね」
「まだ慣れないもので、早めに出てきたんです」
以前はいっつも始業ギリギリに出社するエリだったが、初めくらいはと早めに家を出ると既に渡部課長は出社していた。
周りを見ても、役職が付いている人しか出社していないようだ。
まぁ、徐々に慣れてきたら遅くしようというのが、エリの狙いだったけれど…。
ふと、お隣さんの机に目を向けるとまだ来ていなかった。
―――この人より遅く来るのは、ちょっとね。
自分の席に座ると、何もない机の上にぽつんっと置いてあるノートパソコンを立ち上げる。
「よう、早いんだな。あんたにしちゃ、いい心掛けだ」
「えっ…」
コーヒーを買いに行っていたのだろう、カップを手に持っている磯崎の机のパソコンは、よく見れば立ち上がっている。
―――うそ…。
もう、来てるの?
遊び人風だから、絶対遅刻ギリギリだと思ってたのに。
「おはようございます。磯崎さんも、早いんですね」
「俺?俺のモットーは、早寝早起きだからな」
早寝早起き…。
今時、そんな人いるの!?
「ちなみに何時に寝て、何時に起きるんですか?」
「そうだな。残業で遅くならなければ、10時に寝て、5時に起きる」
―――えっ、10時に寝て、5時に起きるの?
もしかして、家がものすごく遠いとか。
「家が、遠いんですか?」
「いや、車で10分くらい」
―――うわぁっ、車で10分?で、5時に起きるの?
一体、何時に会社に来てるわけ?
ちょっと待って…ということは、明日からずっとこの時間には来なきゃダメなの?っていうか、もっと早く??
????マークが、次から次へと飛び交っている。
どうするのよ…。
遅刻ギリギリに出社するようになったら、『なんだ、初めだけか』って、絶対言われるに決まってる。
はぁ…。
「東郷さん。今朝の朝礼でみんなに紹介するから、一言頼むね」
「はっ、はい」
『また、面白い話を聞かせてくれよ。彼のこととか』と言っていた一士の言葉が、脳裏に浮かぶ。
しないって言っちゃったけど、私ったらするのよねきっと…。
その晩にまた電話を掛けて、一士に思いっきり笑われたのでした。
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