素直になれなくて
2nd STORY
STORY4


「・・・・・・・・・・・・ん?うわぁぁぁぁぁぁっっ、遅刻だぁっ」

エリはベッドから跳ね起きると、とにかく顔を洗ってその辺にあった服に着替え、化粧もそこそこにアパートを飛び出した。
一度目が覚めたのだが、余裕だと二度寝したのがいけなかった。
―――こんなことじゃ、磯崎さんに何を言われるかわからないわ。
昨日は初めだからと意識してかなり早く家を出たが、一応上司のお隣さんがあんなに早く出社しているとなると1日というわけにはいかない。
しかし、この分ではいくら会社まで近いとは言え、既に始業ギリギリは確定だった。
―――あぁ~あ…。
ここで後悔しても遅いわけで、覚悟を決めてフロアに入って行った。

「おはようございます」

「おはよう」と口々に自分の席の周りの人に挨拶を返されたが、あれ?磯崎さんがいない。
―――もしかして、今日はいつもより遅いとか、フレックスとか?

「なんだ、寝坊か。スッピンで」
「げっ…」

―――うそ…いたの?
だって、パソコン立ち上がってないし。
てっきり、まだ来てないんだと思ったのに。
それにしても、いちいちスッピンとか言わないでくれる?
あ~早く化粧しに行かなきゃ。

「まぁ、そんなことだとは思ってたけどな。あんた、朝弱そうだし。低血圧だろ」

―――どうして、低血圧だってわかったのよ。
低血圧のせいにはしたくなかったが、目覚めが悪いことに少なからず影響はあったかもしれない。
でも…ここで可愛らしく、『はい。私、低血圧なんですぅ。だから、朝が弱くってぇ』とでも言っておけば、明日から早く来なくても済むのだろうか?
…それはないわね、彼に限っては。

「いえ、そんなこともないんですが」

そうであっても、ここは違うと否定しておく。
後々が怖いから。

「ふうん、俺にはどうでもいい話だけど。あっ、そこの一覧表にある項目について、午前中までに調べておいてくれよな。急で悪いけど、午後の会議で使うから」
「えっ」

机の上を見れば、山のように積まれたファイル。
それに一覧表に書かれている項目は、かなりの数がありそうだ。
これをどうやって調べろと言うのだろうか、それも午前中になんて…。

「頼むな。俺、今から別件で打ち合わせなんで」
「あの」

―――あ~行っちゃった。
エリは大きく溜め息を吐くと、取り敢えず化粧をしにトイレに行く。
化粧などしてもしなくても同じと言えばそれまでだが、なんとなく気分的に違うように思えたから。
鏡に映る自分の姿を見れば、ここへ来て何日も経っていないというのにスッピンのせいか、妙にくたびれている。
これでも一応、選ばれてここへ来たのだし、自ら選んだことなのだ。
パンッと一回頬を両手で叩くと気持ちを切り替えて、エリは自分の席に戻って行った。



結局、磯崎は午前中一度も席に戻って来ることはなくエリは一人黙々と作業を続け、なんとか調べ終わったけれど、果たしてそれでいいものかどうか…。

「エリさん、お昼行きましょう」
「うん」

エリは作成した資料を磯崎の机の上に置いて、麻菜美と食堂へ行く。
今日はメニューを見て、定食のコーナーに並んでみる。
AとBの2種類あって、魚と肉という分け方のだろうか?
二人は、列の最後尾についた。

「来たばっかりなのに忙しそう」
「なんか、朝来たらどさっと資料の山が机の上に載ってて、午前中で調べろって。磯崎さんって、いきなり言うから困るのよ。あの人、やたらに朝も早いし、奥さんってどんな人なのかしらね?」
「私も気になってたの、あの左手薬指のリング。だって、磯崎さんは結婚してないんだもん。だから、彼女なのかなって」
「えっ、結婚してないの?」

―――薬指にリングがあるから、てっきり結婚してるんだとばかり思ってたわ。

「そう。いつの間にか左手にリングがあって、もしかして内緒で結婚しちゃったのかなって思ったの。でも、周りに聞いても知らないって言うし、私、庶務担当してるから年末の書類とかチラっと見ちゃったんだけどそんなことなかった」
「なるほど。でもでも、だったら彼女ってどんな人だと思う?」

二人は順番にトレーにごはんとお味噌汁と小鉢、メインのお皿を載せるとお茶を入れて空いている席に座る。
煮魚が、美味しそう。
―――それよりも、磯崎さんの彼女よ。
私が思うに相手は年下ね。
それもかなりの。

「イメージ的には、小柄で可愛い感じかなぁ。年下で、離れてそう」
「やっぱり?私も絶対年下だと思う。でなきゃ、あんな堅物男と付き合えないわ」
「確かに。磯崎さんがリングをするようになったのは半年か1年前くらいからで、それまでは他の部の女子から合コンに誘われたりしてたんだけど、絶対来ないってみんな嘆いてたもん」
「へぇ~柄にもなく、一途なんだ」

遊び人風に見えるが、彼は思ったよりもずっと一途なのかもしれない。
―――そうだ、今度飲んだ席でこっそり聞いてみよう。
彼とは普通では話しづらいけど、お酒が入れば聞けないことも聞けるかも。
仕事とは別のところで、ちょっと楽しみになってきた新生活だった。

食事を終えて少し休憩してから休み時間が終わる寸前にエリが席に戻って来ると、磯崎はエリが作った資料を全部チェックし終えた後だった。
作るのも大変だったが、それをチェックするのも大変なはずなのに…。

「さすが、神奈川から連れて来ただけのことはあるようだな。これでオッケーだから、10部くらいコピーしておいてくれるか。1時から203会議室、あんたのこと紹介するから遅れないように」

相変わらず磯崎は目も合わせようとしないが、それよりもダメだと言われなくて良かったと思う。

「はい、わかりました」

エリは急いでコピーを取りに行き、会議室へと向った。



さっき、磯崎は急で悪いけどと言っていたから、エリが帰った後にでも決まったことなのかもしれないが、あまり心の準備ができていないところで関連部署が集まっての会議というのは緊張する。

「それでは、始めます」

その点、磯崎は至ってマイペースとでも言うのだろうか?
若いのにどっしりと構えていて、周りの幾分年齢の高い人達から見ても引け目を取るどころかあの堂々たる話しっぷりは、ある意味すごいとさえ思う。
デキルからこその外見なのか…。
エリは磯崎の左隣に座っていたから、彼の左手がチラチラと視界に入る。
―――磯崎さんって、彼女の前ではどうなのかしら?
一途に違いないとはエリの勝手な想像ではあるが、誰にも見せない顔を彼女には見せているに違いない。
なぞの多い上司に注目しながらも、まずここへ来た目的の仕事を頑張らないとと新たな気持ちを抱いたエリだった。


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