素直になれなくて
2nd STORY
STORY8
「おはようございます」
一度家に帰ってからの出勤だったので、エリはかなり寝不足だったが、まさか二日酔いで休むわけにもいかず…。
それに送ってくれた磯崎は、しっかり先に出社していたし。
「おはよう。東郷さん、大丈夫だった?磯崎に変なこと、されなかったかい?いやぁ、後になって彼に任せたことを後悔してね」
「ちょっと、課長。それは、ないっすよ。俺は、ちゃんと送り届けましたよ。この人、見掛けによらず重くって」
見掛けによらず、重いは余計よと思ったエリだったが、渡部課長は酔って眠ってしまったエリを磯崎一人に任せてしまったことを少しだけ後悔していた。
彼は信用できる人間だったが、お互い酔っていたわけだし、間違いが起きないとも限らない。
が、その心配はなさそうだ。
磯崎が、慌てて弁解する。
「東郷さん、本当かい?」
「はい。磯崎さんには家まで送っていただいて、ご迷惑をおかけしました」
「なら、いいんだ」
「課長、俺の言うことを信じないってのは、どういうことですか」
「あぁ?信じろって言う方が無理だ」
「うわぁっ、それひどくない?」と大げさに落ち込んでみせる磯崎が、なんだか可愛く見えたりして
…。
エリは自分の席に座ると、もう一度彼にお礼を言う。
「磯崎さん、ありがとうございました。体、痛くないですか?」
「あのさ、実を言うと寝違えたみたいで首が痛いんだ」
やはり、ソファーに無理な体勢で寝たために寝違えてしまったのだろう。
―――悪いことしちゃったな。
「ごめんなさい」
「いや、そういうつもりじゃないから。だけど、飲み過ぎは気を付けた方がいいぞ?俺みたいな善人ばかりじゃないんだ」
「はい。以後、気をつけます」
善人という言葉が若干引っかからないわけでもないが、ベッドまで借りてしまったのだから、この際良しとしておこう。
―――だけど、ほどほどにしなきゃなね。
一士に知られたりしたら、何を言われるかわからないものね。
何もなかったにしても、一人暮らしの男性の家に泊まったことには変わりないわけだし。
そう、肝に銘じたエリだった。
+++
歓迎会も無事に済んだこともあって、それからはなんだかんだと色々やることが急に増えたような気がした。
まぁ、そのために自分はここへ呼ばれたのだから、それは覚悟のことだったけれど、やっぱり大変だった。
「夕飯、食いに行くか?」
「え?」
磯崎に言われて時計を見れば、6時半を回ったところ。
周りを見るとカップラーメンを食べている人やお菓子を摘んでいる人が目に入る。
―――休憩時間かぁ。
エリはどちらかというと休憩を取らずに仕事を進めて、早く帰りたいタイプ。
今日はどっぷり残業します的な仕事の進め方は、あまり好まなかった。
「あんた、夕飯は家に帰ってから作ってるのか?」
「えぇ、一人なんで適当に」
「俺は、ほとんど毎日社食で済ませてるよ」
「そうなんですか?栄養、偏りません?」
彼女のいない磯崎には、食事を作ってくれる人はいないということになるのだろうか?
だからといって、毎日社食というのは微妙。
一応、栄養士さんがメニューを考えているとはいっても、必然的に油モノが多くなりそうだし。
「そんなこともないんじゃないか?野菜とか大目に使ってるし、外で食べるより安くて美味い」
「早く、彼女を作った方がいいですよ」
―――左手の薬指にダミーリングなんてしないで、早く彼女を作ればいいのにねぇ。
「余計なお世話だっつうの。それより、行くのか行かないのか?」
「わかりました。お付き合いしますよ」
エリの言い方が少々腑に落ちない磯崎だったが、一人で食べるより二人の方がなんとなく楽しい。
食堂に行くと彼の知り合いが数人声を掛けてきたけれど、エリを見る度にニヤっと笑うのがいやに気に掛かる。
「みんなあんたのこと、気になるみたいだな。早いとこ、売約済だって知らせておかないと、やたらに声を掛けられるぞ?」
「何ですか、売約済って。モノじゃないんですから」
夜のメニューは昼に比べて種類が少ないけれど、彼の言うように野菜を多く使って油も控えているようだ。
急に言われ始めた、世のお父さん方のためにメタボリックを心配してのことなのだろう。
―――そういう、一士は大丈夫かしら?
あたしがいない間に急に太ったりしたら、どうしよう…。
もう30だもの、気をつけないと…。
なんて、心配してる場合じゃなくって、やたらに声を掛けられるってどういうことなのかしら?
「あのな。ここは、都会とは違うんだ。そうそう、出会いなんてものはないんだよ。だから、新入りに目を付けたら即行動。あんた、上物だからハイエナどもに狙われてるな」
―――上物って…それにハイエナって、一体…。
だけど、そういうことなの?
遊びに行くところも、そうあるわけじゃない。
彼女、彼氏を見つける場所は社内だけってこと…。
だから、磯崎さんも彼女がいるのかって聞かれるのが面倒で、リングを着けることにしたんだぁ。
彼も狙われたってことね?
「磯崎さんも、狙われたんですか?」
「俺?この年代は、みんなそうなんだろ。もう少ししたら、忘れられるさ」
二人は、トレーを持って空いている席に並んで座る。
―――美味しそう、いただきま〜す。
「でも、磯崎さんはどうして彼女を作らないんですか?」
彼ならモテるだろうし、どうして彼女を作らないのだろう?
もしかして、ワザと作らないようにしているとか。
普通だったら、それこそこの年代なら彼女は欲しいはずなのにいるフリをしているなんて。
ワザととしか、思えない。
過去に女性関係で、痛い思いをしたとか?
―――ウフフ、それ当たってるかも。
「女は、コリゴリなんだよ。何でもかんでも押し付けてくるし、すぐ泣くし。やれ誕生日だ、付き合った日記念日だとかさ。ウザいんだよな」
「女心が、わかってないですね。磯崎さん、そんなことだからダメなんですよ」
「いいんだよ。俺は、女心なんてわからなくても」
磯崎は半ばヤケになって、ガツガツとおかずを口に放り込む。
その気持ちいいくらいの食べっぷりを横目で見ながら、エリは思う。
―――この人に女心がわかったら、逆に似合わないかも?
このつっけんどんさが、磯崎さんの魅力かもしれない。
いきなり『付き合って一ヶ月目の記念日だよ』とか言って、バラの花束とか持って来たら気持ち悪いものね。
そんな、一人笑い出したエリに磯崎は不満顔。
「何が、おかしいんだ」
「いえ。磯崎さんが気配り男だったらどうだったのか、想像していたんです」
「俺が、気配り男?」
自分が、気配り男だったら…。
考えただけでも、気色悪い。
「はい。でも、全然似合いませんね。磯崎さんは、今のままでいいです」
「え?」
何気なく言ったエリの言葉に、磯崎の箸が止まる。
もっと優しくできないの?とか、言われたことは数知れず、今のままでいいと言われたことは一度もない。
「見てみたいですね。磯崎さんが、ゾッコンになるような彼女」
隣でニッコリ微笑まれて、磯崎は不思議な気持ちになっていた。
今まで抱いたことのない感情…。
それが何なのか…まだ気付いていなかった。
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