素直になれなくて
STORY3


次の日はすっかり熱も下がって、いつもより早く会社に出社した。
『元気な姿の城崎しか俺は認めないから』という東郷の言葉を思い出しつつ、いつもより元気に挨拶をする。

「課長、おはようございますっ」
「おはよう。城崎、もうすっかり元気になったみたいだな」
「ハイ!」

いつもギリギリで会社に来るエリが、こんな時間に出社するのも驚きではあったが、それより元気な姿で自分の前に現れたことが東郷には何よりも嬉しかった。

「昨日は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「体調が悪い時は、無理しないで言って欲しい。体を管理することも仕事のうちだから、これからは気をつけること」
「はい」

あまりに優しい笑顔を向けられて、わけもなくエリの心臓の鼓動が早まる。

「早速で悪いんだけど、昨日のちょっと見直してくれないか?一通りできてはいるんだが、俺ではわからないところもあるから」
「わかりました」

エリは東郷から書類を受け取るとすぐにパソコンを立ち上げて、チェックに取り掛かった。

+++

「エリ、この頃な〜んか楽しそうね」

時刻は午後3時を回ったところ、エリが給湯室でコーヒーを入れていると同じようにコーヒーを入れに来たのは沙希だった。

「別に楽しくなんかないわよ」
「そう?あたしの目がおかしいのかしらねぇ」

『なに、その意味深な言い方は』と思ったけれど、強く言い返せないのも確か。
実を言うと沙希の言うようにここ数日間、仕事が楽しくて仕方がないのだ。
相変わらず忙しいことにも変わりないし、東郷にも細かいことを言われて特にそういう要素などどこにも見つからないように感じられるのだが…。

「なんかあった?」
「なんかって?」
「誤魔化さないで、東郷課長とよ」

沙希は、通路まで出て誰もいないことを確認するとエリの耳元で囁くように言う。
今度は何を言い出すのかと思えば、東郷と何かあったのかとは…。
何もないと言えば何もない。
ただ、エリの中で何かが変わったということは否定できないけれど…。

「誤魔化すもなにも、課長となんて何かある方がおかしいじゃない」
「ほんと?」
「ほんとほんと」

思いっきり、エリは首を上下に何度も振る。
沙希は鋭いからエリの心の変化を見抜いたのかもしれないが、特に二人の間で何かがあったわけではない。

「な〜んだ。てっきり、付き合ってるのかと思った」
「はぁ!?」

思わず声を上げそうになって口で押さえたが、どこでどう間違ったらそういう言葉が出てくるのだろうか?
これに関しては、エリの方が聞きたいくらいだった。

「ちょっと、どこからそういう話が出てくるわけ?」
「だって。エリ、前みたいに課長に対して突っかかったりしないしさ、二人で楽しそうに仕事してるから、てっきりそうなのかなって」

エリが体調を崩して家まで送ってもらってから、自分でも不思議なくらい東郷に対して素直に接しているとは思う。
でもそれだけであって、色恋うんぬんなどということはあり得ないだろう。

「まぁ、私もいつまでも子供じゃないってこと」
「まったく、素直じゃないんだから」
「どうせ、素直じゃないですよぉ」
「そうそう、大事なことを言い忘れてたわ」

膨れっ面のエリに沙希が思い出したように言う。
どうやら沙希は、何か別のことをエリに話すためにここへ来たようだ。

「急な話なんだけどね。湯川さんが、戻って来るんだって」
「湯川さんって、あの湯川 祥子さん?」

湯川は年齢的には東郷と同じくらい、エリや沙希と同じシステム設計部の主任だったが、一年間の予定で顧客先に出向していたのだった。
エリとはグループが違ったので直接関わることはなかったけれど、落ち着いていて仕事もできる、妙に色気のようなものを感じさせる女性だった。
その彼女が戻って来る。

「湯川さんって、東郷課長と同期らしいんだけど、大学も同じなんだって。それに彼女、まだ独身でしょ?気をつけないと取られちゃうわよ?」

取られちゃうという言葉はこの際聞かなかったことにして、東郷と同期だけでなく大学も同じだったとは…。
なぜかエリには、そっちの方が引っかかる。

「どっちにしても私には、関係ないし」
「またまた、強がっちゃって」

冗談で言ったつもりの沙希だったが、まさか本当になろうとはこの時思ってもみなかった。

+++

週が明けてすぐ、湯川がシステム設計部に戻って来た。
一年間見ない間に益々女に磨きがかかったように感じたのは、エリだけではなかったと思う。
湯川は、朝礼で軽くみんなの前で挨拶を済ませると真っ先に東郷のところへと足を運ぶ。

「一士、うちの部の課長になったのね。私だって一年もお客のところへ行ってなかったら、課長になれたはずなのに」
「湯川さん、久しぶりに会ったのにその挨拶はないんじゃないかな?それと、会社では名前で呼ばないで欲しいんだけど」
「あら、ごめんなさい。つい、癖で。ねぇ、それより今夜食事でもどう?ゆっくり話もしたいし」

東郷のすぐ近くに席があるエリは、二人の会話に耳を疑った。
大学時代からの友人であれば名前で呼ぶのは普通なのかもしれないが、東郷の言うようにここは会社なのである。
それにこんなところで堂々と食事に誘うとは…。

「せっかくだけど、仕事が立て込んでいるんだ」
「だったら、週末でも」
「俺には休日もないんだよ。悪いけどこれから会議なんだ、この話はまた後で。城崎、会議の資料はできてるのか?」

ボーっとしていたエリは、東郷が呼んでいることに気づかなかった。

「おいっ、城崎。聞いてるのか?」
「はっ、はい」

慌てて返事を返したものの、どうして東郷が自分を呼んだのかまでわからない。

「何、ボーっとしてる。俺は、会議の資料はできたのか?と聞いたんだが」
「会議の資料…」
「できてないのか?」
「いっいえ、できています」
「なら、先に会議室に行っててくれないか?俺もすぐに行くから」
「わかりました」

資料を持ってエリは1人先に会議室に向かったが、そんな彼女の後姿を心配そうに見守る東郷。
そして、東郷とエリとじっと見つめていた湯川がいたことを二人は知らない。


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