素直になれなくて
STORY4


グループは違っていたにも関わらず、湯川は事あるごとに東郷のところへ来るようになった。
東郷もこれがプライベートな話ではなく業務に関することだったので、迷惑そうな表情を見せつつも無下に断ることもできないでいた。

「ねぇねぇ、湯川さん思った通り、東郷課長にベッタリね」

エリがキャビネの前で調べ物をしていると周りに誰もいないことを確認して、沙希がやって来た。
それはエリも思っていたことだったけれど、それをここで言うと色々突っ込まれそうだったので、敢えて気にしていないフリをする。

「湯川さんが担当してる仕事って、前に東郷課長がやったことがあったものだから参考に聞きに来てるんじゃないの?」
「そんな暢気なこと言ってる場合じゃないわよ。湯川さんと東郷課長、前に付き合ってたんですって」

沙希が、エリの耳元で囁くように言う。
しかし、こういう話をどこで入手してくるものなのか?
さすが、沙希としか思えないエリだったが…。

「え?そっ、そうなんだ…」
「随分前の話らしいんだけど、もしかして再燃ってこともあるじゃない」
「いいんじゃないの?二人ともお似合いよ」
「もうっ、エリったら。どうして、そう他人事なのよ。課長、取られちゃうかもしれないのに」
「だって、他人事だし…。それに取られるとか、意味わかんないんだけど」

さっきから平静を装っているエリだったが、内心はわけもなく動揺しているのは確か。
―――どうして、課長のことなんか…私には関係ないことなのに…。
東郷が誰と付き合おうと、湯川との恋が再燃しようと、エリにはまったく関係のない話。
なのに、なぜか心の隅の方で引っかかる。

「湯川さんより、エリの方が全然似合ってるわよ。まぁ、課長の方にその気がなさそうなのが救いだけど、湯川さんって一癖も二癖もありそうじゃない?このままじゃ済まない気がするのよね」

ちらっと湯川の方に視線を向けながらしみじみ言う沙希に半ば呆れ顔のエリだったが、心の隅のなんだかわからない思いはさておいて、大人の二人に首を突っ込むつもりは毛頭ない。

「ほら、もうそんな話はいいでしょ?早く席に戻らないとなんか言われるわよ」
「あっ、こんな時間?ヤバイ、総務に行ってくるんだった」

大事な用事を思い出した沙希は、急いで自分の席に戻って行った。
エリはその後姿を見ながら、ふと東郷の方に視線を移す。
疲れているのだろうか?眼鏡をはずして目頭を押さえている。
素顔はあまり見たことがないが、意外にはっきりとした二重でやっぱりいい男。
―――私ったら、何考えてるのよ。
つい見惚れてしまう自分に戸惑いながら、それを振り払うかのようにふーっと大きく息を吐くと、もう一度資料に目を向けた。

+++

「城崎、俺は今から本社に行くことになったんだ。悪いんだけど、これをできるところまででいいからやっておいてくれないか?」

東郷の出張の話は聞いていなかったが、急な会議でも入ったのだろう。
エリは「わかりました」と言って、書類を受け取った。
すると湯川もどこかに出掛けるのか、ジャケットに荷物を持って東郷のところに現れたのだが…。

「東郷課長、準備はいいかしら?」

―――えっ、課長。湯川さんと一緒なの?
最近、仕事のことで湯川が東郷のことを頼っているのは知っていたが、二人一緒とは…。

「あぁ、今行くよ。じゃあ、城崎頼むな」

そう言って、東郷は湯川とフロアを後にした。

「湯川さんったら、ただでさえ東郷課長は忙しいのに自分の仕事に巻き込むなんてね。同期だし、課長も嫌とは言えなかったんでしょうけど」

二人が出て行って、すぐに沙希がエリのところにやって来た。
沙希の言う通り、東郷は休日も返上で働いていた。
それをエリも知っていたから極力負担にならないように努めていたのだが、湯川が戻って来てからというものそれが一層増していたのは事実。
同期だし、頼られて嫌とは言えなかったのだろうが、体は大丈夫だろうか?
エリが熱を出してからは、ちょっと無理をすると自分がやるからと人のことばかり心配して。
二人の仲がどうこういうよりもエリには、そっちの方が気がかりだった。



湯川の方はそのまま帰るからという連絡があったようで東郷もそうなのだと思っていたが、夜8時を過ぎた頃に1人社に戻って来た。

「城崎、まだいたのか?」
「えっ、課長?」
「なんだよ、まるで化け物でも見たような顔して」

まさか戻って来ると思っていなかったエリは、東郷の言うように化け物でも見たような顔だったに違いない。

「てっきり、帰られたものだとばかり思っていましたから」
「そうもいかないだろう?どうせ、城崎もまだ残ってると思ってたし」

東郷は、その場でジャケットを脱ぐとパソコンの電源を入れる。
本当は湯川に食事でもどうかと誘われたのだが、エリがまだ残っているだろうと思ったから、それを断って戻って来たのだった。

「じゃあ、私も帰りますから、課長も帰りましょう」
「はぁ?なんだよ。今、戻って来たばかりなのに」

突然帰ると言い出したエリに東郷は拍子抜けというか、呆気にとられた表情をしている。

「課長、仕事し過ぎですよ。過労死したらどうするんですか?」
「過労死とは大げさな。俺はそんな柔な人間じゃないし、まだ若いぞ?っていうか、もう30だけどさ」
「課長は私に言ったじゃないですか。無理してもなんにもならない、本気で倒れられたら困るって」
「それは、お前のことだろう?」
「同じことですよ。課長に頼まれていたものは全て終わらせました。ちゃんと他の部署の方にも確認してもらったので、大丈夫です。ですから、今日は帰りましょう」

言うのと同時にエリは自分のパソコンの電源をおとすと、今度は立ち上げたばかりの東郷のパソコンの電源も切ってしまう。

「おい、城崎―――わかったよ、言う通りにするよ」

観念した東郷はエリの言うことを素直にきくと、苦笑しながらさっき脱いだジャケットをもう一度着る。
『こりゃ、彼氏は尻に敷かれるなぁ…』

「課長、なんか言いました?」
「いっいや、何も」

聞こえていないと思ったのだが、声に出ていたようで…。
『プラス、地獄耳か?』
今度は聞こえなかったようで、ホッとする東郷。
エリがロッカーに行って自分の荷物を持ってくると、一緒に会社を出る。
今まで一緒に帰ることなどなかったから、二人っきりになるとなんだかお互い恥ずかしいような…。

「そうだ、どうせなら飯食って帰ろう。城崎もまだだろうし、ロクに料理もできないんだろうから」
「湯川さんと食べてきたんじゃないんですか?」
「誘われたけど、断った」

―――やっぱり、誘われたんだ。
でも、断ったって…。

「なんか、城崎の顔が浮かんじゃって」
「え?」

「んな、わけないだろう」って、おでこをデコピンされた。
痛いっ!って思ったけど、嬉しいって思うのはなぜなんだろう?

「っていうか、課長!ロクに料理もできないってどういうことですかっ」
「あ?何、作れるの?」
「あったり前ですぅ。これでも料理は得意なんですからね」
「ほ〜、じゃあ今度証明してくれ」
「いっ、いいですよ。あまりの上手さに驚かないでくださいよ」
「楽しみにしてるよ」

―――何よ!あの言い方、くっ悔しいわねぇ。
最近は忙しくてあんまりやってないけど、料理は上手いんだからっ。

「おい、怒ったのか?俺が美味いものを食わせてやるから、機嫌直せよ」

「ホレ、行くぞ」って、手を取られて心臓が口から出るかと思うくらい驚いた。
―――もうっ、なんなのよ…わけわかんない。
東郷の手から伝わってくる温もりと一歩前を歩く大きな背中が、そんなエリの思いをどこかに消し去ってしまった。


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