素直になれなくて
STORY5


東郷が連れて行ってくれたのは、偶然見つけてほぼ毎日通っているらしい定食屋さんだった。
一見スマートな彼の印象には合わない気もするが、日頃一緒にいることが多いエリにはなんとなくらしいなと思えたりして。

「せっかくの湯川さんの誘い、どうして断ったんですか?」

戻って来て仕事をするつもりだったのかもしれないが、こうやってエリの言うことを聞くのなら湯川に誘われても同じだったはず。
なのになぜ…。

「気になるのか?」

―――え?
そう返されると思わなかったエリは、口元まで持っていきかけていた水の入ったグラスを空で止めた。
気になるのか?と聞かれれば気にならないこともないけど、別に課長が誰と食事に行こうと私には関係ないしぃ…。

「課長がどなたと食事に行こうと、私には関係ないですから」
「そう言うと思ったよ。お前って、ほんと素直じゃないんだな。まぁ、そこが俺にしてみれはツボなんだけどさ」

『はい?!』
素直じゃないのは自分でもわかってるけど、ツボってなに?ツボって。

「生まれつきですから」
「あはは、そんな膨れっ面してたんじゃ、彼氏に逃げられるぞ?」
「逃げられるも何も、そんな人いませんし」
「そうか」
「なんですか、そのやっぱりみたいな言い方は」
「深い意味はないが」

―――なによ、その言い方。
そりゃこんなんだから、彼氏なんて最近いないし、だいたい毎日毎日残業ばっかりで作る暇もないんですからねっ。

「そういう課長は、どうなんですか?」
「なんだ、やっぱり気になるんじゃないか」

―――だ・か・ら、そういうことは言ってませんって。
どうして、話がそっちにいっちゃうのかしら?

そんな時に頼んでいた煮魚定食が運ばれて来た。
東郷のお薦めメニューだったが、すごく美味しそう。
あ〜いい匂いだわ。

「いただきま〜す」
「おい、人の話聞いてないだろう」
「課長は、お腹空いていないんですか?」
「あ?いや、そんなことはないけど」
「じゃあ、食べましょう?美味しそう〜」

人の話を聞いているのかいないのか…。
上手く誤魔化されたような気がした東郷だったが、美味しそうに食べている可愛い彼女を目の前にして何も言えるはずがなく…。

「俺には彼女もいないし、湯川さんとは大学時代からの知り合い。それだけだ」

そう言って東郷は、自分の皿に箸をつけた。
別に聞いてないのに…と思ったエリだったが、ふと沙希の言葉が頭を過ぎる。

湯川さんと東郷課長、前に付き合ってたんですって―――

東郷は大学時代からの知り合いだと言っていたが、本当は…。
自分には関係ないと思っていても、なぜか気になってしまう。
それがなんなのか、エリにはまだわからなかった。

+++

食事をして帰った日から、エリの中で何かがいつもと違っていた。
それが東郷に関することだとわかっていても、わからないフリをして過ごしていたある日の午後、社に一本の電話が入った。
その日、東郷は会議で湯川と一緒に本社に行っていたのだが…。

「ねぇ、東郷課長に何かあったのかしら?」

その電話の内容を聞いていた沙希が、エリのところにやって来た。
会話の内容からしてそう感じたのは、エリも同じだったけれど…。

「東郷課長のグループのみんな、ちょっと集まってくれるかな」

連絡を受けた湯川の上司でもある松本課長が、東郷のグループのメンバーを集める。
エリも急いで松本課長の元へ行くと…。

「今、湯川さんから連絡があって、東郷課長が会議中に倒れたらしいんだ」
「えっ」

―――課長が倒れた?
エリも東郷の体のことは心配していたが、本人は大丈夫だと言っていたのに…。

「今、病院で検査をしてもらってるところではっきりしたことはわからないが、どうやら過労らしい。当分は休むことになるだろうから、急ぎの業務は私が代わりを担当するので」

―――過労…。

「エリ。課長、過労って」
「うん、疲れてるって様子はあったんだけど、大丈夫かな」
「湯川さんが無理させるからよ、グループが違うのに」

確かに自分のグループの仕事だけでも大変だったのに、他のグループの仕事までしていればいくらなんでも体がもたないだろう。

「今はゆっくり休んで、早く元気になってくれればいいけど」
「そうね、エリも課長がいないと寂しいだろうし」
「べっ別に…私は寂しくなんかないけど…」

本当は、ちょっぴりそう思っていたりして…。

「いっそのこと、家までお見舞いにでも行ったら?課長、めっちゃ喜びそ〜」
「はぁ?何、言ってるのよ」

沙希は「チャンスじゃない。行っちゃえば?湯川さんに先を越される前に」とエリに耳打ちすると、にっこり笑って自分の席に戻って行った。

―――いくらなんでも、課長の家にまでいけないわよ。
だいたい、場所も知らないし…。



夕方になって湯川が戻って来ると、東郷は病院で診察と点滴を打ってもらった後、自宅に戻ったということだった。
一週間くらい安静にしていればすぐによくなるとのことで、本当に大事に至らなくて良かったと思った。
東郷のことを考えながらも、これ以上彼に負担をかけないためにエリはひとり残って仕事を続けているとデスクの上に置いてあった携帯が震えだす。
そこには、“東郷課長”の文字が…。
あの日東郷に電話を掛けて、そのままなんとなく登録していたものだったが、掛かってくることはないと思っていたのに…。

「もしもし」
『城崎か?あの…東郷だけど』
「課長、どうかされたんですか?」
『あっいや、そうじゃないんだ』

もしかして、何かあったのではないかと心配になって聞いてみたが、どうやらそうでもならしい。
声を聞く限り、元気そうだし。

『まだ、残ってるのか?』
「え…はっ、はい」
『無理するなよ』
「課長こそ。お加減は、いかがですか?」
『もう大丈夫だよ。湯川さんが大げさに言っていたかもしれないけど、全然大したことないんだ。一週間も休まなくて、行けると思うから』
「ダメですよ無理は。せっかくのお休みなんですから、ゆっくり休まないと」
『また、城崎にパソコンの電源を切られそうだからな』
「そういうことを言うために電話を掛けてきたんですか?」
『あぁ、そうじゃないんだが…』
「課長?」

何かあったわけでもなさそうだし、課長はどうして電話を掛けてきたのだろうか?
それもエリの携帯に。

『聞きたかったんだ、城崎の声が』
「え?」
『本当は顔が見たかったんだけど…なんでだろう、意識が朦朧としている中でも城崎の顔ばかり頭に浮かんで来て―――』

いつもならここで、『なーんてな。俺がそんなこと思うはずないだろ』という言葉が続くはずなのに今回は出てこない。

「課長。何、冗談言ってるんですか」
『冗談じゃないよ。これは、本当だから』

―――やだ、そんなこと真剣に言わないでよ。
どうしていいか、わからないじゃない。

「・・・・・」
『ごめん。急にこんなことを言われても困るよな』
「―――あの課長、今からそちらに伺ってもいいですか?」
『はぁ?どうして、お前はそう突然なんだ』
「ダメですか?」
『ダメってなぁ…』

エリ自身どうしてこんなことを言っていたのか、自分でもわからない。
でも、どうしても東郷をひとりにしておけなかったから。
そして、暫く考え込んでいた東郷が言ったのは―――。

『そんなこと、あるわけないだろ』

東郷の嬉しそうな声にエリは、途中まで作っていたファイルを保存して急いでパソコンをシャットダウンする。

『気をつけて来るんだぞ』

子供じゃないんだからと思ったけれど、その言葉が耳から離れなかった。


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