素直になれなくて
STORY6


勢いで東郷の家に行くと言ってしまったが、よく考えてみればすごいことを口に出してしまったと今更思ってもしょうがない。
エリは、開いていたスーパーで適当に食材を買ってから向かうことにした。
『今度証明してくれ』と言われた手前、料理ができることも証明しなければならないし…。
―――だけど、声が聞きたかったとか、顔を見たかったなんて…。
東郷がどういうつもりでそんなことを言ったのかはエリにはよくわからなかったが、それを嬉しいと思ってしまうのはなぜなのか?
自身もこうやって東郷の家に向かっていることを思えば、本心は同じ気持ちだったのかもしれない。

東郷の家は、エリのアパートからそれ程離れていない場所にあった。
交通の便もいいし、わりと新しいマンションで羨ましい限りだが、独身で課長となればこれくらい普通なのかもしれない。
聞いた通りに5階の一番奥のドアの前に立つと、大きく息を吐いた。
『ここまで来ちゃったんだから』そう言い聞かせて、ブザーを押した。

「はい」という低い声と共にドアが開き、中へ入るとパジャマ姿を想像していたのに意外にもラフな服装の東郷に驚いた。

「課長、勝手に来てしまってすみません」
「そんなことはないよ。さぁ、あんまり綺麗じゃないけど入って」

「お邪魔します」と東郷の後に付いて奥へと入る。
シンプルというよりは、何もないと言った方が当たっているかもしれない。
越して来て、そう日が経っていないというのもあるだろう。
それにしてもあまりに殺風景で、お花でも買ってくればよかったとエリは思った。

「どこでも好きなところに座ってて、コーヒーでも入れるから」
「私のことはお構いなく。それより課長、寝てなくていいんですか?」
「もう、大丈夫だよ。みんな大げさなんだ」

思っていたよりずっと元気そうだが、だからといって安静にしていない理由にはならないだろう。
無理をしたら、治るものも治らないのに…。

「そんなことないですよ。また、倒れたらどうするんですか?」
「倒れたら、城崎が看病してくれるんだろ?」
「はぁ?私がいつ…」

―――どうしたら、そういう話になるのか?
でも…課長は、私にそうしてもらいたいと思っているのかしら?

「城崎がこうして来てくれるんだったら、倒れるのも悪くないよな」
「何、言ってるんですか。もうっ、冗談言ってる場合じゃないんですからね。病人は病人らしく、ちゃんとお医者さんの言うことを聞いて寝ていてください」

エリはなんだか恥ずかしくなってきて、それを誤魔化すように東郷がいたキッチンに入って行くと彼を追い出した。
東郷は、仕方なくソファーに腰を下ろす。

「あの、課長」
「なんだ?」
「食事は取られたんですか?」
「点滴を打ってもらってからは、何も食べてないよ。どうせ、作れないし」
「そう思って材料を買ってきたんですが、何か食べられますか?食欲はあまりないかもしれませんけど、何か食べないと元気も出ないでしょうし」
「そう言えば、城崎は料理が得意だったんだな。自分もまだなんだろう?だったら、一緒に食べていけばいい」

「わかりました」とエリは、スーパーの袋から材料を取り出した。
思えば男性のために食事を作るのは、どれくらい振りだろうか?
学生時代に付き合っていた彼とは就職しても付き合っていたが、エリの配属された先が郊外だったために部屋を越さなければならなかったし、すれ違いも多く最終的には自然消滅してしまった。
それからずっと寂しい1人身、いつの間にか料理の腕も上達していたのだった。

「おっ、ちゃんと猫の手なんだ」

いきなり横から声を掛けられて、思わずニンジンではなくて自分の指を切りそうになった。

「課長、安静にしていないとだめじゃないですか。本当なら横になっていなければいけないのに」
「せっかく城崎が来てくれたのに、寝てるなんてもったいなかなと…それに1人じゃつまらないし」
「子供じゃないんですから、つまらないとか言わないで下さい」

―――本当は近くにいられると、わけもなく心臓がドキドキするから…なんて言えないわよ。
時間も遅かったからそれ程凝ったものも作れなかったが、二人で食事ができることが言葉にこそ出さないけれど、お互い心の中で思ったことだった。

「すごいな、これだけできたら大したもんだよ。この前はあんなことを言って、悪かったな」
「これくらいで、そんなこと言わないで下さい。誰でもできますし、食べてみないとわからないですから」

エリの言葉を信じていなかったわけではないが、東郷の思っていた以上に手際もいいし体のことを配慮したメニューに脱帽するばかり。

「いや、すぐにでもお嫁に行けるな」
「どうしたんですか?課長。いつもなら、そんなに誉めたりしないのに」
「そうか?まぁ、会社であんまり誉めると色々言うヤツがいるからな。口では細かいことも言ってるけど、城崎のことはちゃんと認めてる。頼りにしてるんだ」

―――ダメだから、怒られてるんだって思ってた。
東郷に小言を言われるのは、自分に足りないものがあるからだと…そうじゃなかった。

「課長、冷めないうちに食べてください」
「あっ、あぁ。じゃあ、遠慮なくいただきます」

まず、味噌汁に箸をつけた東郷の第一声は「美味しいよ」。
これ以上の言葉はないわけで、自然にエリの顔にも笑みが浮かぶ。

「そうやって、普段でも笑っていればいいのに」
「それじゃ、いつも怒ってるみたいじゃないですか」

―――そりゃ、課長の前では作り笑顔か膨れっ面かもしれないけど。

「怒ってるのとは少し違うけど、その顔は見たことないぞ?あっ、もしかして俺だけか」

当たっていただけに返す言葉がない。

「やっぱり、嫌われてるんだ」
「え?」

―――ヤダ、何言ってるのよ課長。
私は、嫌いだなんて一度も思ったことないのに…。

「嫌いなんてこと、あるわけないじゃないですか。だったら、ここまで来ませんよ」
「そっか、それもそうだな。でも、少なからずそんなふうに思ってるんじゃないのか?」

嫌われているとまではいかないにしても、好かれているとは思えない。
どこか警戒されているとは、東郷の思い込みなのだろうか?

「初めは細かい人だなとか思いましたよ、いちいちうるさいなって。すみません、こんなこと言って」
「いや、いいんだ。続けてくれないか」
「はい。でも、それは今までが適当だっただけで、課長の言うことは正しかったんです。ただ…」
「城崎の性格上、素直になれなかっただけだろう?」

代わりに言われてしまい、エリは黙って頷くしかなかった。

「城崎らしいと思うよ。お前が変に媚びるような子だったら、俺はこんなふうに思ったりしなかった」

東郷は特別な意味を込めて言ったつもりだったのだが、果たしてこれをエリはどう解釈するのだろうか?

「私も課長がただのいい男だったら、倒れても口だけだったと思います。私が心配しなくても、湯川さんがいるでしょうから」

ニッコリ微笑んで、何事もなかったように食事を続けるエリに同じように微笑み返す東郷。
『自分よりずっと年下なのに、一枚も二枚も上手だな』
エリを見つめながらそう思う東郷だった。

食事を終えて片付けを済ませると、エリは早々に東郷の家を後にする。
寝ていないとと言っても、東郷はまったく言うことを聞かないから。

「わざわざ、ありがとう。久し振りにちゃんとした食事を取ったよ」
「課長も早く可愛いお嫁さんをもらった方がいいですよ」
「俺か?俺は、独身でも構わない。城崎の嫁ぎ先が見つからなかったら、俺がもらってやるから」
「そうならないように努力します」

そんな冗談を交わしながら、「失礼します」とエリが玄関を出ようとすると東郷に呼び止められた。
そして…。

「課長?」

気付いた時には、強い力で引き寄せられて東郷に抱きしめられていた。
それが決して嫌なものではなく、エリは無意識のうちに東郷の背中に腕を回していた。

「ありがとう、来てくれて嬉しかった」
「明日も、伺っていいですか?」
「そうしてくれるとありがたいけど、次は帰せなくなるからやめておくよ」
「私がそうしたかったら…いいですよね?」
「選択は、城崎に任せるよ」

名残惜しさを残しつつも体を離したが、合わせた視線は外すことができない。

「城崎―――好きだ」

吸い寄せられるように顔を近づけると唇が重なった。
東郷のキスは、どこまでも優しくて…溶けてしまいそう。

「これ以上は、俺も抑える自信がないから」
「課長、無理しないでゆっくり休んでくださいね。それから、食事もきちんと取って…」
「わかってる。城崎も気をつけてな」
「はい」

ドアが閉まる音を聞きながら、エリは今のキスを思い出して体の奥底が熱くなるのを感じた。
『城崎―――好きだ』
という言葉が、何度も頭の中をリフレインして離れなかった。

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