素直になれなくて
STORY7


次の日の朝、エリはただぼんやりと東郷の席を見つめていた。

『―――好きだ』

この言葉とキスされたことを再び思い出して、体の奥底がカーッと熱くなってくる。
―――これじゃあ、仕事が手につかないじゃない。
はっきり言って、今のエリはとても仕事どころではなかった。
『明日も、伺っていいですか?』などと言ってしまった手前、今夜も行くことになるのだろう。
東郷には『選択は任せるから』と言われていたけれど、きっと待っていてくれるはず…。

「エリ、どうしたの?東郷課長の席をじっと見つめて」
「え?」

―――げっ、沙希に見られていたとは…。
『いっそのこと、家までお見舞いにでも行ったら?』と言われて、まさか本当に行ったとは言えないでしょうに…。

「心配なんでしょ?だから、会いに行けばって言ったのに」
「えっ、うん…」

何も知らない沙希はエリを見てそう言ったのだが、いつもなら『どうして、私がっ』と即座に返ってきそうなものだが、どうも様子が違う。

「嘘、行ったの?」
「ちっ、違うわよ。行くわけないじゃない。何で私がっ」

こんなに動揺したら、誰だってわかってしまうのに…。
沙希は、エリがおもしろくてクスクスと笑っている。

「何、笑ってるのよ」
「だってぇ…」

なんとわかりやすいのか、口では強がっているくせに…これじゃあ、バレバレじゃない。

「なによ、仕事の邪魔をしに来たわけ?」
「よく言うわよ。仕事なんか、手につかないくせに」

痛いところをつかれて、エリには返す言葉がない。
それを誤魔化すようにパソコンの画面に向かう。

「そういうことかぁ、エリがねぇ」

意味深な言い方にどうも嫌な予感がする。

「もうっ、人のことはいいでしょっ」
「こんなおもしろい話、聞かない方がおかしいわよ。後でじっくり聞かせてもらうから、覚悟してね」

そういい残して、沙希は去って行ってしまった。
あ〜全部話すまで、しつこく聞くんだろうなぁ…。
自分でもこんなことになるとは思ってもいなかったので、エリはその場にがっくりと肩を落とす。
―――はぁ〜あ…。
もう一度東郷の机を見つめると、大きく溜め息を吐いた。



「課長とうまくいったんでしょ?なのにその浮かない顔は、なんなのよ」

お昼休みいつものように食堂に行ったエリと沙希だったが、昨日東郷の家に行ったと聞かされた沙希はてっきりうまくいったものとばかり思っていたのに実際は違うのだろうか?

「うまくいったっていうか、よくわからないんだもの」
「わからない?」
「うん」

沙希は、エリから昨日のことを一部始終聞きだした。
エリのことをはっきり好きだと言った東郷、それに応えるようにまた家に行くと言ったエリ。
一体、何がわからないというのか…。

「だって、エリも課長のことが好きなんでしょ?」
「やっぱり、そうなのかな」
「そうなのかなって…でなきゃ、家に行かないでしょ。それにキスしたんでしょ?」
「まぁね」

家に行ったことは別としても、好きでなかったらキスはしないだろう。
しかし、エリには自分の気持ちがよくわからないのだ。
というより、今までのエリの態度からして素直に東郷の胸に飛び込めないという方が正しいのかもしれない。
今更だけど…。

「で、今夜はどうするわけ?行くの行かないの?あの言い方じゃ、課長待ってるわよね。首を長〜くして」
「どうしよう…」

呆れて言葉も出ない、沙希。
―――二人で、勝手にやってなさいよ。

「知らないわよ。子供じゃないんだから、自分のことは自分で決めなさい」
「意地悪ぅ」
「なんとでも言って」
「そんなこと言わないで、沙〜希」

「知らない」と冷たく返されて、すっかり落ち込んでしまったエリだった。

+++

―――沙希ったら、まったく冷たいんだからぁ…。
沙希は何も悪くないわけで…まったくいい迷惑と言えばそれまでなのだが、エリにはそう言うしかなかったのだ。
東郷に会いたいという気持ちはあるが、昨日の勢いはすっかりどこかにいってしまっていた。

部屋の前で溜め息を吐くと玄関のブザーを押す。
昨日と同じように出迎えてくれた東郷は、もうすっかり元気を取り戻したよう。

「すみません、遅くなって」
「本当に来てくれたんだ」
「え?」

少し照れたように言う東郷は、それを誤魔化すように髪を掻きあげながらソファーに腰を下ろす。
東郷の言葉通り、エリが来てくれるかどうか不安だったから…。

「いや、なんでもない」
「課長は、私が来ないって思ってたんですか?」

本当はすごく迷っていたくせに、東郷の前ではこんなふうに強く出てしまう。

「あんなことを言ってしまって…城崎が帰った後、迷惑だったんじゃないかと」
「私は、迷惑だなんて思っていません。課長の気持ちは、すごく嬉しかったんですから」
「本当か?」

黙って頷くエリだったが、これだけは間違いなく言うことができた。
自分の気持ちはまだよくわからないけれど、東郷の気持ちは素直に嬉しかったことは確かだったから。

「今日は、一日ちゃんと寝てました?」

エリは途中で買って来たお花を花瓶に生けると、東郷の側まで来て確認するように問う。
休んでいても家で仕事をしていたのではないかと気になっていたから。

「あぁ、城崎に怒られるのは、ヘタな薬よりも効くよ」
「それ、どういう意味です?」
「こういう意味」
「きゃっ」

東郷は、エリを引き寄せると自分の腕の中に抱きしめる。

「課長?」
「俺の一方通行だったんじゃないかって」
「え?」
「好きだと言ったこと」

一方的に自分の想いを告げてしまったのではないかと…東郷は今日、ずっとベットの中で考えていた。

「私も…課長の一方通行なんかじゃ、ありません」
「城崎」

見詰め合う二人、お互いの顔が段々と近付いていって…。

「課長っ」
「あ?なんだ、そんな大きな声を出して。いいところなのに」

いいところでお預けをくわされた東郷は、口を尖らせて抗議する。

「ほら、課長。お腹空いてますよね?すぐに夕食の支度をしますから」
「次は帰さないって、言ったよな。城崎も、そのつもりで来たんだろう?」

―――あっ…忘れてた。
ヤダ、どうしよう…。

「違うのか?」
「えっ…そういう…わけじゃ…」

エリの頬に東郷の手が静かに触れて、今度こそ唇が重なる。
何度も何度も啄ばむように…どこまでも優しいくちづけ。
この先のことを考えたらどうしていいかわからなかったけれど…今は、東郷とのくちづけに酔いしれていたかった。


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