Snow Blue
Story11


「もえ」

社内でこう呼ぶ男性は、和也しかいない。
さすがにみんなの前では呼ばないにしても、最近彼は我慢をしなくなった。

「主任」
「もえ、周りに人がいない時くらい名前で呼んでくれてもいいのに」
「でも、誰が来るかわからないですし」
「そうだけど、誰も来ないって」

きっと、彼はここで名前を呼ばないと話は先に進まないだろう。

「和也さん」
「いいねぇ、もう一度呼んで」
「もうっ、和也さんったら。何か、用があったんじゃないんですか?」

嬉しさのあまり、すっかり本題を忘れていた和也。
もえを探していたのは、今夜食事に誘うためだったのだ。

「忘れてた。あのさ、今夜空いてる?」
「今夜ですか?特にないですけど」
「だったら、久し振りに食事に行かないか?」

ずっと残業続きで、会社帰りに二人で食事に行くのはかなり久し振りのこと。
もえとしてはこの誘いは嬉しい限りだが、仕事の方はいいのだろうか?

「お仕事は、いいんですか?」
「あぁ。取り敢えず一段落したってことで、課長から早く帰るようにって言われたんだ。それは口実で、自分が早く帰りたいからだろうけどさ」
「そういうことなら」
「じゃあ、もえの好きな店を考えておいて」
「はい」

和也は、嬉しそうに職場に戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、もえもつい顔が緩んでしまう。

「も〜えちゃん」
「あっ、美好さん」

美好に顔の前で手をヒラヒラされて、初めて側にいたことに気付いたもえ。

「今にも溶けちゃいそうね」
「え?そっ、そうですか?」

今の顔を美好に見られていたとは…。

「芹沢主任とデート?」
「はっ、はい。早く帰るよう課長に言われたそうなので、食事にでも行こうって」
「そっかぁ。いいな」
「美好さんは、犬丸主任とデートしないんですか?」
「どうかな、私にはそんな誘いはないけどね」

課長から早く帰るようにとの話は聞いていたが、雄斗からのデートの誘いは今のところない。
早く帰れるからといって、彼にはそんなことは思いつかないのだろう。
美好自身も思いもしなかったけれど、もえの話を聞くと自分もデートしたくなるのだから不思議なものだ。

「美好さんから、誘ってみたらどうですか?」
「えっ、私が?」
「そうですよ。犬丸主任、喜びますよきっと」

―――そうかしら?
食事になんて言っても、『そんなの毎日してるじゃないか』とか言いそう。

「そうかな。だって、毎日一緒に食事に行ってるのに?」
「そういうのとは違って、デート用のお店ですよ」
「雄斗には、そんなの関係なさそうなんだもの。場所も知らないし」
「それなら、一緒に行きましょうよ」
「もえちゃん達と?」
「はい」

――― 一緒になんて言ったら、芹沢主任が怒るわよね。
せっかくのデートなのに。

「だけど、お邪魔だし」
「そんなことないです。私も主任に好きなお店をって言われていたので、後で調べましょう」

もえに押し切られるように『うん』と言ってしまった美好だったが、本当にいいのだろうか?



「芹沢さん。俺達、迷惑じゃなかったですか?」

結局、4人でダブルデートすることになったのだが、雄斗も美好もなんとなく一緒に居づらい雰囲気だ。

「いいんですよ。もえがそうしたいって、言うんですから。こちらこそ、無理に誘ったのでは」

和也は内心二人だけでとは思ったが、これはもえが決めたこと。
彼女が言うことに反対はしない。
それに雄斗と美好が二人でいるところを見たことがなかったから、逆におもしろいかもと思ったりして。
これは、同じように雄斗達も思っていたことだったのだが…。

「いいえ。いつものように真っすぐホテルに帰るだけでしたから」

あの後、美好は雄斗のところに行くと、思い切って食事に誘ってみた。
彼は一瞬なんで?って顔をしたが、すぐに優しい表情で『いいよ』と言ってくれた。
その後、和也達と一緒にと言うとそれがもえの誘いだと知ってなんとなく納得したようだった。

4人が入ったのは、もえと美好が選んだスペイン料理のお店。
雑誌などでよく見る、人気のお店だった。
念のために予約を入れていたのだが、既に店内はお客さんでいっぱいだ。

「美好さん。予約をしていて、よかったですね」
「そうね。私、初めてだからちょっと楽しみ」

店内は可愛らしい絵柄の焼き物がたくさん壁に飾られていて、サッカーファンも多いのかユニフォームもあったりする。
メニューは豊富で迷ってしまったが、ここはお決まりのパエリアは外せない。
そして、お酒の飲める美好と男性陣はワインを頼む。

「芹沢さんと木下さんは、二人っきりの時ってどんな感じなんですか?」

雄斗の質問に、和也はどう答えようか迷ってしまう。
会社にいる時と、そんなに変わらないと自分では思っているのだが…。

「普通だと思いますけど」
「俺のイメージでは、ベッタリくっ付いてるって感じなんですけど」

言われてみれば、確かに雄斗の言うようにベッタリくっ付いてるかもしれないが…どうなんだろう。

「犬丸さんは、どうなんですか?花村さんとホテルも一緒なんですから、ラブラブでしょう」
「え…」

ホテルの部屋はシングルを2つ取っているが、いつもどちらかの部屋にいて一日中一緒、色々あってからはより一層お互いの想いが深くなったことは確かだった。
それを面と向かって言われると、恥ずかしい。

「もえ。犬丸さんと花村さん、ラブラブなんだって。俺達も二人に負けないようにラブラブにならないと」
「ラブラブにですか?」
「そう、ラブラブに」

和也は冗談なのか本気なのかわからないが、それを真剣に考えているもえがおかしいというか可愛過ぎる。
この二人を見ていると、こっちまでその幸せが移ってくるようだ。

ニンニクの効いたジャガイモのオムレツやイワシ、タコを使ったマリネなどの料理はお酒によく合うせいか、男性陣は終始ご機嫌の様子。
さり気なく和也が、もえの好きなタコをフォークに取ると口元へ持っていく。
それを嬉しそうに口にするもえがあまりに自然で、雄斗も美好も目が釘付けになってしまう。
二人っきりの時は普通だと言っていたが、これってどうなのか?

「芹沢主任ともえちゃん達の方が、ずっとラブラブよね」
「だな。なんだか、あてられっぱなしかも」

そう言う雄斗も、美好がワインの後に頼んでいたシェリー酒のグラスを『ちょっと飲ませて』とか言いながら回し飲みしたりして…。
そして、テーブルの下ではしっかりと手を繋いでいたし。
傍から見ればどっちもどっち、お熱いカップルなのだ。

最後は、ここにいるみんなのように熱々のパエリアをいただいて大満足。

「美味しかったね、もえちゃん」
「はい。また、来たいです」

少しほろ酔いの美好は、なんだかとっても色っぽく見える。
そんな彼女の腰に腕を回してしっかりと支える雄斗は、会社では見たことがないくらい優しい目をしていた。
本当にお似合いのカップルだなと、もえはちょっぴり羨ましかった。
方向が違うからと二人と別れた和也ともえは、なんとなく真っ直ぐ帰るのがもったいなくてブラブラと歩いていた。

「和也さん、大丈夫ですか?」

飲み過ぎたのか、もえの肩にもたれ掛かってきた和也。

「ダメ、飲み過ぎたかも」
「えっ、だったらどこかで休みますか?」

本当はそんなに飲んでいないのにわざとそういう言い方をしたのだが、もえはすっかり信じてしまったようだ。

「嘘、酔ってなんかいないよ。ただ、こうしたかっただけ」
「本当に大丈夫ですか?」
「あぁ、それは、大丈夫。だけど、なんだか犬丸さんと花村さんに妬けたかも」

和也はもえとの仲を見せつけたつもりだったのだが、反対に二人に見せつけられたような気がしていた。

「でも私達も、あの二人のようにラブラブになるんですよね?」
「え?」

そうは言ったけど…。

「そうだよ。ラブラブになるためには、まずもえからキスして」
「えぇぇぇ?!」

クックック―――。
もえはすっかり和也の言葉を信じてしまっているから、急に言われてオロオロしている。

「こっ、ここで?」
「そう、ここで」

「早く」と急かすと、もえは肩にもたれたままの和也の額にそっとくちづけを落とす。
辺りは暗いといっても、人前でするには少し勇気のいること。
それでももえは、はにかみながらも和也の言う通りにキスしてくれた。
嬉しさのあまり和也はもえをぎゅっと抱きしめると、艶のある柔らかい唇に自分のそれを重ねた。
そこが人通りのある場所だとか、そういうことはもう頭にはない。
ただ、もえが愛しくて暫くの間唇を離すことができなかった。


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