「もえ、犬丸さんと花村さんは、正式に本社勤務が決定したよ」
もえがコピーをしているところへ、和也が周りを確認しながら入って来た。
「えっ、本当ですか?」
「あぁ。さっき、課長からその話があってね。近いうちに家を越して来るって」
「そうなんですか?嬉しいです」
本当に嬉しそうなもえ。
美好と仲良くなっていただけに、期限が来て戻ってしまうのでは寂しい。
こっちに異動になるかもしれないという噂はあったが、正式に決まって良かったと思う。
「向こうは二人も優秀な人を出すから、なかなかうんとは言ってくれなかったようだけどね」
応援という名目で雄斗と美好を出したのに取られてしまうのでは、向こうも納得できなかったのだろう。
しかし、今後のことを考えてなんとか和解したようだった。
「住むところをどうするか悩んでいたな。犬丸さんはこれを機に結婚ってことも思ったみたいだけど、同じ仕事をするのは難しいからな」
最近は、夫婦でも部長によっては同じ部署に在籍するケースもないこともない。
でも、雄斗と美好のように同じ仕事をしていているだけでなく、他の事業所からの異動も伴っているだけにすぐには難しいだろう。
まして、美好が辞めるとなると会社も困るだろうし…。
「そうですね」
「いいところがあったら教えて欲しいって言ってたから、協力してあげて」
「はい」
会話が終わると同時にコピーをしに人が入って来たために、和也は先に部屋を出て行った。
◇
「美好さん、こちらに異動が決まったそうですね。芹沢主任に聞きました」
朝からずっと席を外していた美好が戻って来ると、もえは早速その話を切り出した。
「あぁ、もえちゃん。そうなのよ、今までその話をされてたの。入社してずっと通信事業部だったから、寂しい気持ちもあるけど、でもこっちにはもえちゃん達がいるから楽しみなの。都会に住むのも夢だったし」
もえにしてみれば、美好がずっとここにいてくれれば嬉しいが、彼女にしてみると入社以来ずっと通信事業部で過ごしてきたわけだから、異動は複雑なのかもしれない。
「それに、雄斗も一緒だから」
何よりも雄斗と一緒に異動できることが、美好にとっては嬉しかった。
これがどちらかだけなどということになれば遠距離恋愛になってしまうわけで、離れ離れは辛いから。
「私ばかり、喜んでしまって」
「ううん、私こそ変なこと言ってごめんね。ほんと、もえちゃんと芹沢主任がいてくれて良かった。もし、二人がいなかったら、雄斗ともうまくいってなかったかもしれない」
今回のこの出張がなかったら…和也ともえに会っていなかったら、気持ちのすれ違いから二人はとうに別れていただろう。
「でも、これからが大変。住むところも探さなきゃならないし」
「私でよければ、お手伝いしますから」
「うん。どこが便利だとかそういうの、教えてくれる?」
「はい」
これからの新しい生活に胸を躍らせる美好だった。
+++
そんなある日。
「美好さん、どうかしました?」
今日の美好は、少し元気がない。
一体、どうしたのだろう。
犬丸主任と喧嘩でもしたのだろうか?
「うん…もえちゃんは、自分の誕生日に芹沢主任からプレゼントをもらったりする?わよね」
「プレゼント、ですか?」
もえは和也と付き合い始めてまだ、自分の誕生日を迎えていない。
それに彼が6月生まれだということを知ったのはその後だったから、よく考えてみると二人とも誕生日というイベントを迎えたことがなかった。
「私、誕生日が3月なので、まだお祝いしてもらったことがなくて。芹沢主任は、逆に過ぎちゃってたんです」
「あら、そうだったの」
「えっ、美好さんお誕生日なんですか?」
「あっ、余計なことを言ってしまったわね。実を言うとそうなの。とは言っても、あと半月はあるんだけど」
美好は後半月ほどで、26歳の誕生日を迎える。
毎年、雄斗には誕生日など祝ってもらったことはないのだが、せめて今年くらいという思いが募るばかり。
「おめでとうございます」
「どうなのかな?私も26歳だから、あまり嬉しいという感じじゃないんだけど」
「そんなことないですよ。お誕生日は、いくつになっても嬉しいものですよ」
―――若い、もえちゃんだからこそ、そう思うのよ。
25を過ぎると早いんだから…。
「さっきの話ですが」
「そうそう。雄斗ったら、今まで誕生日にプレゼントどころか、おめでとうの言葉すら言ってくれたことがないのよ。どう思う?もえちゃんっ」
―――美好さん、目が怖いですぅ。
一歩後ずさるもえだったが、犬丸主任は誕生日におめでとうも、プレゼントもくれないなんて。
意外にマメそうに見えるのに…。
「きっと、恥ずかしいからですよ。忘れているからとか、そういうのではないと思います」
「そうかな。そういうのはわからないでもないんだけど、でも一回くらいおめでとうの言葉とプレゼントをくれてもいいじゃない?別に高いものが欲しいとかじゃないの。気持ちが、嬉しいって言うか」
その気持ちは、もえにもわかるような気がした。
本当に些細なものでも、おめでとうの言葉と共にもらえたら、それも一番好きな人からだったら尚更に違いない。
「美好さんからは、言ってみたことはないんですか?」
「私?う~ん、なんか悔しいから言わない」
―――なるほど…。
これも美好らしいといえば、らしいともえは思う。
まぁ、自分からはなかなか言いにくいだろうし…。
和也さんから犬丸主任に言ってもらったら、なんとかならないかしら?
もえは後で、そっと相談してみることにした。
◇
「木下さん」
「犬丸主任」
雄斗を見るとついつい、さっきの美好の話を思い出してしまう。
「ちょっと、いい?」
「はい。何でしょう」
「実はさ、来月美好の誕生日なんだよね」
「えっ。犬丸主任、知っていたんですか?」
忘れてはいないだろうとは言ったものの本当は忘れているのでは?と思っていたところ。
ちゃんと覚えていたとは…。
「木下さん、どうしてそれを?」
「さっき、美好さんに言われたんです。犬丸主任におめでとうって言葉もプレゼントももらったことがないって」
「そっかぁ、そうなんだよ。以前の俺は、どこか美好の前で意地を張っていたって言うかさ、そういうのが柄に合わないって思って、知っててもわざと気づかないフリをしていたんだ」
「そうですか」
―――やっぱり…。
もえの思った通りだった。
「今年は、その分の穴埋めをしようと思って。そこで相談なんだけど、プレゼントを選ぶの付き合ってくれないかな?」
「そういうことでしたら、喜んで」
「良かった。芹沢さんには、もう話してるんだ。あとは、木下さんに聞いてからにしようと思ってて」
「美好さん、喜びますね」
「だと、いいんだけど…」
和也に相談する間もなく、話が進んで良かったと思う。
美好の顔が目に浮かぶよう。
もえは、自分のことのように嬉しく思うのだった。
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