もえはお風呂からあがってベットで本を読んでいると、ローテーブルの上に置いてあった携帯が震えだす。
『あっ、和也さん』
会社を出る時、和也に電話するからとそっと耳打ちされたのを思い出す。
「もしもし、和也さん?」
『もえ、今話してもいい?』
「はい、大丈夫です」
時計を見れば10時を少し過ぎたところ、『まだ、和也さんは会社にいるのかしら?』
『あ〜、やっともえの声が聞けた。なんか、こんな時間なのに上原課長が打ち合わせしようとか言い出して、まいったよ』
今までの進捗をまとめるからと、9時を過ぎていきなり打ち合わせを始めた上原に電話を掛けようと思っていた和也は心の中で『勘弁してくれよ』と叫んだのだった。
「まだ、会社にいるんですか?」
『あぁ、犬丸さんも花村さんもまだ残ってるからね』
「私だけ先に帰ってきてしまって、すみません」
『もえはいいんだよ。まだ新人なんだし、それに7時過ぎまで残ってたじゃないか』
「でも…」
もえは、自分だけ早く帰宅してこんなふうにくつろいでいるのが、とても申し訳ない気持ちで一杯だった。
『ほら、俺はそんな暗い声を聞くために電話を掛けたんじゃないんだ。いつもの声を聞かせて欲しいな』
「はい…」
『も〜え、もっと元気出して。和也さんガンバってって、言ってくれよ』
「はい。和也さん、ガンバってくださいね」
『それそれ、その声が聞きたかったんだ。それと、今度の土曜日なんだけど、デートしよう』
「え?」
『何か予定でもある?』
「いえ、そうじゃないんですけど。和也さん、お仕事は」
『もえとのデートのためなら、毎晩徹夜しても休むつもり』
―――和也さんったら…そんな。
『だったら、決まり。どこに行きたいか考えておいて』
「わかりました」
『じゃあ、名残惜しいけど切るよ』
「和也さん、無理しないでくださいね?」
『わかってる。お休み』
「お休みなさい」
電話を切った後も暫くは携帯を見つめたままのもえだったが、それは会社に残っていた和也も同じだった。
+++
和也は相変わらず忙しい毎日を過ごしていたが、なんとか週末は休めそう。
もえは無理しないでと思ったけれど、やはり和也とのデートは楽しみだし、ついそれが顔に出てしまう。
「もえちゃん。なんか、嬉しそう。そっかぁ芹沢主任、週末は絶対休むとか言ってたのは、もえちゃんとのデートかぁ」
「えっ、あ…」
もえのいないところで、和也はそんなことを言っていたとは…。
美好に言われなければ、わからないところだった。
「主任、そんなことを言ってるんですか?」
「なんか、うちの犬丸主任と馬が合うのかしら、楽しそうに話してるの聞いちゃった」
「そうなんですか」
「ねぇねぇ、ところでデートってどこ行くの?」
「はい、動物園に」
「動物園?!」
『これまた、渋いところに行くものねぇ』と美好は思ったが、なんだかもえを見ているとそれもアリなのかなという気になってくる。
美好はというと雄斗があまり外に出たがらない性格だから、どちらかの部屋で過ごすことが多い。
明るい外で手を繋いで歩いてみたいという、ささやかな希望でさえ叶わない。
そして、夜はお決まりのえっち…。
実はいいように使われているのではないか…本当は自分のことなんて、好きじゃないのでは…。
そんなふうに思えて、悲しくなってくる。
「美好さん、どうかしました?」
「えっ、なっなんでもないわよ。そっかぁ、動物園に行くんだ。私、デートでそういうところ行ったことないなぁって」
「私、動物大好きなんです。ゾウとかキリンとか、あとチンパンジーも」
―――うわぁ、もえちゃん可愛いっ。
と、美好は思わず声に出しそうになった。
可愛い子が言うとなんでも可愛いのよね。
これが私だったら雄斗なんか、『何、可愛い子ブってんだよ。そういうのは、お前みたいにスレてない子が言うの』って、相手にもしてもらえないはず。
はぁ…。
また、雄斗とのことを考えて落ち込むだけだわ…。
そう声にならない声を発すると美好は、仕事モードに頭を切り替えたのだった。
+++
待ちに待った週末。
空も晴れ渡って、絶好の動物園日和?!
もえからデートの場所を聞いた時、和也は思わず吹き出してしまい、もえが泣きそうになってしまったのだ。
慌ててその場を取り繕ったけれど、さすがにあれにはまいった…。
そんなことを考えながら待ち合わせの駅で待っていると、ものすごく遠くにいるのにそれが愛しい彼女だとわかる。
「和也さん、ごめんなさい。遅くなってしまって」
「いや、俺が早く来ただけだから」
もえを待たせたくなくて30分も早く来た和也だったが、そんな申し訳なさそうな顔をされてしまうと、その場で抱きしめたくなってしまう。
それを抑えるかのように彼女の手に自分の指を絡める。
一瞬、驚いたのかもえが手を引っ込めようとしたが、それを逃さない。
「和也さん?」
「うん?」
「あの…」
この反応も計算済み。
既にもえの頬は、真っ赤に染まっていた。
本当に彼女の何もかもが可愛くて、正直和也もどうしていいかわからなくなってくる。
「行こうか」
小さく「はい」と頷くもえの手を引いて、動物園までの道のりを歩く。
今は二人だけど、近い将来握る手が増えればいいなどと、漠然とだが夢を描いたりして…。
「もえ。ゾウとキリンとチンパンジーと俺、どれが一番好き?」
「えぇぇぇぇ?!どうして、それを」
ものすごく動揺している、もえ。
イジワルな質問だとわかっているが、どうしても聞かずにはいられない。
『花村さんに聞いておいてよかった』
「ねぇ、どれが一番好きなんだ?」
「そんなこと…」
「そんなこと?」
和也が顔を近づけると、益々もえの顔が赤く染まっていく。
「…和也さん」
「え?聞こえなかった。もえ、もう一度言って」
『うそ、バッチリ聞こえてた』
どうしても、もう一度聞きたくて、わざとそう言ってみる。
「和也さんが、一番…好きです」
素直なもえは、疑う様子もない。
『うわっ!だめだっ。もえ、可愛過ぎっ』
ここが家族連れの多い場所だとわかっていても和也は我慢できなくて、もえの腰に腕を回して自分の方へ抱き寄せた。
もえも何が起きたのかわからないという様子で、キョトンとしてる。
「俺も、もえが一番大好きだよ」
耳元で囁くように言って軽く唇を掠めると、慌ててもえは離れようとしたが、和也がそれを逃すはずがない。
『可愛いもえが悪いんだよ』和也は勝手にそう決めて、その日はずっと腰から腕を離さなかった。
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