「おはよう。昨日は、木下さんの家に泊まったんだって?」
「え?おはよう。うっ、うん」
あんなふうに一方的に『もう雄斗とは付き合えない』と言ってしまってからまともに話をするの久し振りのように思えたが、雄斗は至って普通に話し掛けてきて少々面食らってしまう。
本当は美好の方から、そうしなければならないのに…。
「そっか。俺も昨日は芹沢さんと帰りに飲みに行ったんだけどさ、つい調子に乗って飲み過ぎた。頭が痛くって」
こめかみの辺りを押えながら話す雄斗。
昨日の帰り和也に誘われて飲みに行ったのだが、つい話が弾んで飲み過ぎてしまったよう。
二日酔いになるほど、飲んでしまうとは…。
「馬鹿ね。週の初めにから、そんなに飲むなんて」
「そうなんだけど。美好がいないと思ったら、つい…」
「え?」
ホテルに帰っても美好はいない。
そう思ったら、お酒に頼るしかなかったというわけだった。
情けないというか、なんというか…。
「ごめんね」
「ん?どうした」
美好に急に謝られて、なんのことかわからない様子の雄斗。
「怒ってる…わよね」
「怒ってる?」
「私が言ったこと」
昨日の夜、もえとたくさん話した美好は、自分がどう考えても悪いのだからすぐにでも謝りたかった。
謝って、仲直りしたかった。
「怒ってなんかいないよ」
「え?」
ちょうどその時、向こうで「犬丸主任、お電話入ってます」と言う声が聞こえる。
「その話は、今夜ゆっくりしよう」
雄斗は今まで見たことがないくらい優しい顔で微笑むと、美好の肩をポンッと叩いて急いで席に戻って行った。
+++
雄斗と美好は、途中で食事を済ませホテルに帰る。
その間も、まるで二人の間に何事もなかったように普通に話せていたのが不思議だった。
そして美好は、この時間が当たり前のようでとても楽しいことを改めて思い知らされたような気がしていた。
「俺の部屋に来る?」
「うん」
美好は、雄斗の後に付いて部屋に入る。
彼に「何か飲む?」と聞かれたが、それには首を振ってベットの端に腰を下ろした。
「雄斗、ごめんね。あんなこと言っちゃって」
「美好は悪くないよ。謝るのは、俺の方なんだ」
雄斗は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、それを一口飲んで机の前にあった椅子に座る。
「でも…」
「俺が、美好を不安にさせたんだ。ちゃんと言わなかったから」
「そんなことない。私、自分のことより、雄斗の気持ちばかり知ろうとして…」
雄斗は立ち上がると美好の隣に座り、肩に腕を回して自分の方へ抱き寄せる。
一日触れ合わなかっただけなのに、こんなにも愛しい存在に思えるなんて…。
「美好は俺がなんとなく付き合いだしたとか思ってるかもしれないけど、そうじゃない。もうすっごい高嶺の花って感じで、なんだか相手にされないような気がしてさ。酔った勢いで、俺のモノにしたんだ」
「そんなこと」
「そんなことある。初め見た時、なんて綺麗な子なんだろうって思った」
雄斗が異動になって初めて美好を見た時、なんて綺麗な子なんだろうというのが第一印象だった。
もうそれだけで毎日会社に行くのが楽しくなったなどとは、『お前が?』と馬鹿にされそうで絶対友達にも言えないのだが、本当の話なのである。
それくらい雄斗の心を惹き付けたのは確かで、だからこそなんとかして自分のものにしたかった。
美好の場合、普通にそれを言葉にしても受け入れてくれると思えなかったから、仕事を口実に徐々に距離を縮めていった。
「もちろん顔だけじゃない。細かい気遣いのできる子だってことも、ちゃんと知ってる」
―――ヤダっ、そんなに褒めないでよ。
恥ずかしいじゃない…。
今までそういうことを口に出して言ってくれなかった雄斗が、こんなふうに自分の気持ちを言葉にするなんて…。
「やめてよ。私、そんな女じゃないもの。昨日思ったの、もえちゃんみたいな可愛い子だったらって。そうしたら、雄斗がこんな思いをしなくても―――」
それ以上、美好が言葉を発せないように雄斗は口元に指をあてる。
「美好は美好、木下さんは木下さんだろ?」
「雄斗…私、雄斗が好き」
『お互い、好きって言うのが恥ずかしいだけなんです。』という、もえの言葉が思い出される。
言ってしまえば、案外なんでもない言葉なのかもしれない。
でも、そのひと言がずっと言えなくて…。
「ヤバイかも…好きって言われるのがこんなに嬉しいことなんだって、俺初めて知った」
「もえちゃんに言われたの」
「うん?」
「『お互い、好きって言うのが恥ずかしいだけなんです。勇気を出して言ってみたら、きっと仲直りできますよ』って。雄斗に好きって言ってもらえないからって、私こそ言わなきゃいけなかったのに…」
「お互い様ってことで」
雄斗の少しゴツゴツとした大きな手が、美好の頬から首筋に触れる。
自然に唇が重なって…。
まるで、恋人になって初めてのキスのように躊躇いがちで、なんだかとっても新鮮な気分になってくる。
「好きだ。美好」
さっきの雄斗ではないが、『好き』と言ってもらえることがこんなにも嬉しいことだったなんて…。
たった一日触れ合わなかっただけで、もう唇を離すことができなかった。
「…っん…ぁっ…雄…斗…」
「そんな可愛い声を出されると、押し倒したくなるだろう?」
名残惜しむように何度も何度も啄ばむようなくちづけを美好の唇に落とす。
今夜の雄斗は、美好を押し倒すつもりはなかった。
美好は、自分にとって本当に大切な存在だと知ったから…。
「今夜は、隣で一緒に寝てくれるか?」
「うん。でも…我慢してるんじゃ」
「美好を大事にしたいから」
『あっ、もえちゃんと芹沢主任もこんな感じなのかしら?』
あの二人の初々しい姿を想像して、微笑ましい気持ちになる。
その夜は、雄斗の腕の中でゆったりとした眠りについた美好だった。
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