「大丈夫?」
急に泣き出してしまった凪菜の側に竜司が寄り添うように座り、そっと肩を抱き寄せる。
名前を呼んでもらえただけでも嬉しかったはずなのに、こんなふうにされると余計悲しくなってくるのはなぜなのか…。
―――優しくされると別れが辛くなる。
それは、これが最後だから。
「ごめんなさい。もう、平気ですから」
それでも、凪菜は心からの笑みを竜司に贈ると肩に掛けられた彼の腕をさり気なく振りほどき、少しだけ顔を背けて場所を移動する。
ちっとも平気なんかじゃなかった。
もっと近くにいたいという気持ちと、これ以上はダメなのだと警告を鳴らす自分。
「凪菜」
もう一度名前を呼ばれて、凪菜の体がピクリと跳ねた。
『竜司さん―――』
声にならない声で、彼の名を呼ぶ。
目を合わせてしまえば、きっと彼の胸に飛び込んでしまうに違いない。
「…あっ」
背後から、竜司に包み込むように抱きしめられた。
―――どうして…。
私が一方的に竜司さんを好きなだけのはず、なのにどうして…。
「竜司さん、あの…」
「あの時、言ったことは本当?好きって言葉を俺は信じてもいいの?」
自分もさっき『好きだ』と言っておきながら、こんなことを竜司が聞いたのは確信が欲しかったから。
「ごめんなさい」
「ん?その『ごめんなさい』は、どういう意味?もう、気持ちは変わっちゃった?」
黙って首を横に振る凪菜。
―――変わるはずなんてない。
こんなにも好きなのに…。
言ってしまったことも後悔していない。
でも…吹っ切れるはずが、余計に想いが膨らんで苦しいの…。
「良かった」
竜司は安堵の溜息を漏らす。
ラストまでまだいくつか残ってはいても、自分の中でもう待てそうになかった。
仕事以外で二人が顔を合わせることなどそれこそ皆無に等しいだろうし、この機会を逃せばお互いの想いは重なることはないかもしれない。
「凪菜、好きだよ」
耳元叫くように言われ、記憶の引き出しにそっとしまわれていたあの情景が今、凪菜の脳裏に蘇る。
『稟花ちゃん、好きだよ』
―――聞き間違いじゃなかった…。
ものすごく嬉しいはずなのに、なぜか涙が溢れてくる。
好きな人に『好き』って言ってもらえるのが、こんなにも幸せなことだったなんで…。
「竜司さん…」
「俺、凪菜を泣かせるようなこと言っちゃったのかな」と言う竜司に凪菜は、慌ててそれを否定する。
「違うんですっ、嬉しくて。そんなふうに言ってもらえるとは、思っていなかったから」
覗き込むようにして顔を近付ける竜司に、凪菜の体は一瞬にして熱を帯びる。
今までだって、何度もこのくらいの距離で顔を合わせることはあったのに…。
「じゃあ、もう一度言ってくれる?」
竜司の腕の中にすっぽり納まったまま、凪菜は上半身だけを彼の方へ向けた。
胸の鼓動がどんどん早くなっていくのが、体を伝って彼に気付かれてしまいそう。
凪菜はふっと小さく息を吐くとジッと竜司の目を見つめ、彼の瞳の奥に映る自分に向かって心を決める。
「竜司さんが、好きです」
柔らかく微笑む竜司に今度は涙ではなく、凪菜の一番いい顔で返す。
涙の跡を竜司の大きくて少しゴツゴツとした手が優しくなぞっていく、その心地よさにゆっくり瞼を閉じると柔らかいものが唇に触れる。
何度も何度も角度を変えて、息もできないくらい。
凪菜は、自然に彼の背中に腕を回していた。
「…っ…りゅ…じ…っ…さん…」
一度弾けてしまった想いは、どうすることもできなかった。
+++
布団に抱き合って眠っていた凪菜と竜司。
結局、竜司は自分の部星に戻ることはなかったが、誰もそのことについて言う者はいないだろう。
レンズを通しても、それは気付かれていたかもしれないし。
薄っすらと目を覚ました竜司。
「…竜司…さ…ん」
名前を呼ばれたものの、それから先は黙ったまま。
「凪菜?」
「・・・・・」
…なぁんだ、寝てるのか。
腕の中でスヤスヤと眠る彼女は、21歳という年齢より幾分幼くも見える。
有名女子大に通う、恐らくお嬢様のはすなのに一体なぜ、この世界に足を踏み入れるようなことになったのか…。
もしかして、俺と同じなのか?
惹かれた理由も、そこにあったのだろうか。
一流大学を出て一流企業に入ることが全てだと、ずっと言い聞かされて生きてきた。
父親がそうだからといって、子供にまでそれを押し付ける権利などなかったはず。
あの頃はそんな疑問を抱くことなく当たり前にそれを受け入れ、自分は世の中のエリート、勝ち組なんだと信じていた。
そういう竜司の考えに変化が生じてきたのは、会社で出世街道から外れた人達を見てからだろうか。
同じ土俵に立っても先に進める者はほんの一握り、相手は人間どんなに努力したって報われないこともある。
努力が足りないから、ダメなヤツだと見下したこともあったし、『自分はああならない』そう言い聞かせて頑張ってきたが、それも段々馬鹿馬鹿しくなって…。
企業に勤める以上は結局、人に使われるという立場は変わらない。
そんな時、ひょんなことから知り合いに誘われて何となく始めたAV男優という仕事。
あまりに自分とは違う世界を見てみたかったという興味と、男だからあまり深く考えていなかったという方が正しいだろうか?
しかし、女性は違う。
体を仕事にすることに抵抗がないはすがない。
借金を返すため、将来の目的を持ってやっている子、自分を変えようという子も中にはいたし、竜司のように何となくという子もいたけれど、みんなそれぞれに悩みを抱えながらも一生懸命生きている。
人を羨ましく思ったり、比べたりすることだって、人間だから少なからず誰の中にもあることだけど、そういう部分も全部知ったからこそ、この仕事を続けているのかもしれない。
「竜司さん」
寝言かと思ったら、不安そうな揺れる瞳で見上げる凪菜の顔が。
「どうした?」
「目が覚めて、竜司さんがいなかったらどうしようって思ったんです」
「心配しなくても、俺はどこへも行かないよ」
抱きしめると安心したのか、凪菜は竜司の胸に顔を埋める。
…彼女も何か他の子達同様、心の内に秘めたものがあるのだろう。
ううん、今はそんな理由なんてどうだっていい。
彼女にめぐり合せてくれたこの瞬間を大切にしたいから。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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