散々食べて飲んで、千瑛(ちあき)に奢ってもらった知衣(ちえ)と凛々(りり)。
彼女とは途中で別れて、凛々(りり)は方向が同じだという千瑛(ちあき)と共に家路に着く。
「千瑛(ちあき)さん、本当にご馳走になってしまっていいんですか?あたしったら、あんなに食べて飲んだのに」
「いいわよ、気にしないで」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
こうしてホームで電車を待っていても、千瑛(ちあき)のことを男性だと思う人は恐らく誰もいないだろう。
それくらい、彼は女性以上に女性らしい。
―――どうして、千瑛(ちあき)さんは女性になったのかしら?
人にはそれぞれ悩みや苦しみがあって、本人にしかわからない周りの人間には理解できないこともある。
触れて欲しくないこともあるし、あれこれ詮索するのはいけないことだってわかってる。
でも…。
彼の人生に何があったのだろう?
決して興味本位なんかじゃなく、許せる範囲でいいから聞いてみたい。
「あの…千瑛(ちあき)さん?」
「ねぇ、凛々(りり)ちゃん。もう一軒、寄ってかない?いい、お店があるのよ」
凛々(りり)が言いたいことを千瑛(ちあき)は、薄々わかっていたのだろうか?
それとも…。
「え?あっ、はい」
ちょうど、ホームに滑り込んできた電車に二人は乗り込むと途中駅で下車した。
◇
千瑛(ちあき)さんが、いいお店と言っていたのは…えっ、スィーツショップ?
明るい店内には、この時間でも女性客がいっぱい。
奥はティールームになっているようで、楽しそうな笑い声がここまで聞こえてくる。
てっきり、お酒の飲めるところだとばかり思っていた凛々(りり)だったが、どうやら彼は甘い物が好きなよう。
「わぁっ、すっごく美味しそうですね。でも、ついさっき、あんなにいっぱい食べてきたばっかりなのに」
「大丈夫よ。デザートは、別腹だもの」
――― 千瑛(ちあき)さんも、そうなのね?
やっぱり、好きなんだぁ。
二人は、ショーケースの中にあるたくさんのスィーツを迷いながら選んで奥の席に着く。
「どれも美味しそうで、迷っちゃいましたね」
「いつもなら3つくらい普通にいけるところなんだけど、今日は遠慮しておいたわ」
「えっ、千瑛(ちあき)さん。3つも食べるんですか?」
―――こんなに細いのに?3つも?
あたしがそんなことをしたら、もうブクブクものよ。
でも、羨ましいなぁ、千瑛(ちあき)さんは甘い物を食べても太らないなんて。
「そうよ。好きなものを我慢するのは、体に悪いから」
「千瑛(ちあき)さんは太らないから。あたしなんてすぐに太っちゃって、彼にも痩せろって言われたし」
―――あぁ…また、あの男のことを思い出しちゃった。
彼は痩せている子が好みだったから、少しでも太るとすぐに痩せろと言われた。
そんなことからも、もう解放されるのね。
「凛々(りり)ちゃんは、ちっとも太ってなんかないのに」
「もう終わったことなので、今から思いっきり食べます」
吹っ切れたのか、凛々(りり)の顔は生き生きしている。
そんな彼女が本当に可愛らしく千瑛(ちあき)には思えたが、自分もその彼と同じ男なのだと思うと心境は複雑だ。
選んだケーキがテーブルの上に並ぶと二人の目は一層輝きを増し、あんなに食べたのが嘘のように別腹がうずき出す。
「美味しそうっ。いっただっきま〜す」という声と共にフォークを挿して、大口で頬張る凛々(りり)に千瑛(ちあき)はゆっくり話し始めた。
「私ね、小さい頃から女の子みたいって言われてたの。自分は男なのに…みんなが、何でそんなふうに言うのかわからなかった」
千瑛(ちあき)は性同一性障害でもなければ、ニューハーフでもない。
ただ、自分が女になればしっくりくるからという理由で男という衣を捨てただけ。
両親が女の子を欲しがって小さい頃からそういう格好をさせられたわけでもないし、女兄弟ばかりの中で育ったわけでもないのになぜか外見が女の子みたいだった。
手足も細くて白い、声変わりもしない、ちっとも男らしくならない自分を周りは益々そういう目で見るようになって…。
どうしたら、男らしくなれるのか?
毎日が葛藤の繰り返し、親を恨み、苛立ちから荒れる日もあった。
こんな外見では、好きな女の子にも相手にしてもらえない。
かといって、男の中にも入っていけない。
だったら、いっそのこと自分が女になれば楽になれるのではないか?
安易な発想だったが、あながち間違ってもいなかった。
女性の中に混じるのは居心地が良かったのは確か、そりゃあ始めは誰もが驚くけれど、すぐに受け入れてくれる。
知衣(ちえ)もそう、みんな優しかったから。
「どんなに自分は男なんだと訴えても、誰もそう認めてはくれなかった。だったら、いっそのこと女になってしまえば楽になれるのかなって。外見は女だけど、もちろん、今も心は男。これは、ずっと変わらない」
「千瑛(ちあき)さん」
――― そうだったんだ…。
千瑛(ちあき)さんは、男性でいたかったのにそういう事情で女性に…。
きっと、つらいこともいっぱいあったはず、彼に比べればあたしが言われたことなんてほんのちっぽけなことに過ぎない。
自分ばっかり…。
暗い表情の凛々(りり)の手にふと、柔らかい物が触れる…。
―――ん?何!?
「ちょっ、千瑛(ちあき)さんっ。なっ、何してるんですかっ」
「どう?」
「やっ、どうって、言われても」
凛々(りり)が触っていたのは、千瑛(ちあき)の胸だった。
柔らかいけど…ん?!
「これね、パットなの。いくら外見が女っぽくても、ここだけは膨らまなかったのよね。あと下も」
「え…」
「確認してみる?」と言われて、凛々(りり)の顔はりんごのように真っ赤に染まっていく。
――― 下って…。
千瑛(ちあき)さんって、こういうことも言っちゃう人なんだぁ。
でも、優しくて素敵。
こんな人が彼氏だったら、いいなぁ。
あっ、でもね。あたしより綺麗だから、嫉妬しちゃうかも。
だけど、千瑛(ちあき)さんはどういう女性が好みなのかな?
「もうっ、千瑛(ちあき)さんったら。冗談はやめて下さいよぉ」
「うふふ。凛々(りり)ちゃん、顔真っ赤。可愛いっ」
可愛いと言われて、別の意味で凛々(りり)の頬は赤くなる。
―――だって、千瑛(ちあき)さんは男の人なんだもん。
彼はそういう意味で言ったわけではないと思うが凛々(りり)にはそんなふうに思え、今も握られている手が熱を帯びて熱い…。
この感覚がなんなのか、凛々(りり)にはこの時はまだわからなかった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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