女心。 続き2


―――あっ、千瑛(ちあき)さんからのメールだ。

凛々(りり)は周りにちらっと目をやりながら、携帯を握り締めてそっと席を立つ。
数日前に街でばったり知衣(ちえ)と会って、その時一緒だった千瑛(ちあき)さんと食事をしてからというもの、毎日のように彼とメールのやり取りをしている。
それは、愚痴だったり、相談ごとだったり、色々だけど、きっと忙しいはずなのにすぐに返事を返してくれるのが嬉しくて。
恋人よりもマメな彼に益々、惚れてしまう。

『お洋服の新作が出来たの、良かったら試着してみない?凛々(りり)ちゃんにぴったりなのが、あるんだけど』

―――えっ、いいの?
千瑛(ちあき)さんは、聞いてびっくり超売れっ子のファッションデザイナー。
あたしも実はそのブランドの密かなファンだったんだけど、ちょっとお高くて普段着にはなかなか手が出ない。
そんな、憧れのお洋服の新作を試着させてもらえるなんてぇ。

『はい、絶対行きます。今からすっごく楽しみです』って返信したら、『待ってるわ』とすぐに返ってきた。
凛々(りり)は携帯を胸の辺りで握り締めると、好きなお洋服を試着させてもらえるワクワク気分と共にまた彼に逢える、そう思ったらこの後の仕事など手に付きそうになかった。



定時即行でオフィスを出ると、凛々(りり)は千瑛(ちあき)のオフィス兼アトリエへ向かう。
地図を頼りに行くと、そこは―――。

―――えぇ?こんなすごいところに千瑛(ちあき)さんは、いるの?

驚くのも無理はない、そこは超高層ビルで、よく見れば有名企業がこぞってオフィスを構えているところ。
―――うちの会社とは、大違い。
凛々(りり)がエレベーターに乗って降りた場所は、ワンフロア全部が彼のオフィスになっていた。
受付は既に終了していたが、電話を掛けると知らされていたのだろう、すぐに女性が出迎えてくれた。

オフィス内もすごくおしゃれで、テレビのドラマに出てきそう。
まだ、忙しく働いている人達がたくさんいたが、みんな彼のデザインした服を着ているのだろうか?

「凛々(りり)ちゃん、いらっしゃい」
「千瑛(ちあき)さん、すっごいところにいるんですね?驚きましたよ」
「そう?まぁ、体裁だけは整えておかないとね」

「見栄張っちゃったのよ」なんて千瑛(ちあき)さんは言っているが、彼の服を愛して止まない人がたくさんいるということ。

「さぁ、こっちに来て。どれでも、好きなものを着てみていいから」
「わ〜い、どれにしよう」

並べられた新作はどれも、とっても素敵で迷ってしまう。
あっ、そうだ。
千瑛(ちあき)さんだったら、どれを選んでくれるのかしら?

「千瑛(ちあき)さんだったら、どれがあたしに似合うと思いますか?」
「私?そうねぇ、凛々(りり)ちゃんにはこんな感じがいいかしら?可愛いんだけど、芯が強いみたいな」

自分はそんな女じゃないって思うけど、千瑛(ちあき)さんにそう言われるとやっぱり嬉しいかも。
彼に選んでもらった服を早速試着してみることにする。
トップはシフォン素材のふわふわした物で、胸元に大きなリボンと裾が長めのドレープが特徴。
そして、ボトムスは細身で、カジュアルなハーフパンツ。
正しく、凛々(りり)好みの1着だ。

「どうですか?似合いますか?」
「えぇ、とっても良く似合うわ。凛々(りり)ちゃんは、スタイルがいいから何でも似合いそう」
「千瑛(ちあき)さんは、褒めるのが上手ですね?」

内心は、凛々(りり)もサイズが合ってホっとしているところ。
彼と別れてからというもの、我慢していた甘い物もガンガン食べ捲くってるし。

「そんなことないわよ?ねぇ、他のも着てみて?良かったら、好きなものを持って帰っていいから」
「えっ?そんな」
「でなきゃ、私がわざわざ凛々(りり)ちゃんを呼んだりしないわよ」
「でも…千瑛(ちあき)さんのお洋服は、高価なのに」

千瑛(ちあき)さんのお洋服は何万円もするもので、一式揃えたらすごい値段になってしまう。
そんな高い物をいただくのは、ちょっと…。

「凛々(りり)ちゃんに着てもらえるなら、モデルを雇うより効果大だもの。だから、気にしなくていいの」
「はぁ」

―――いいのかな?こんなに甘えてばっかりで。

そんな凛々(りり)の気持ちを察した千瑛(ちあき)は、次々と洋服を持って来ては彼女に着させるものだから、つい調子に乗って…。

結局、初めに千瑛(ちあき)さんが選んだ服をありがたく頂戴することにした。

「いいんですか?本当に」
「いいのよ。凛々(りり)ちゃんに着てもらえれば、この洋服も幸せよ」
「なんだか、照れますね」

千瑛(ちあき)さんは、とっても褒め上手。
オダテに弱い、あたしはすぐに信じてしまう。
でも、彼氏とも別れちゃったし、デートをする相手もいないのよね?
せっかく、お洋服を頂いても、着ていくところがないじゃない。

「でも、せっかく素敵なお洋服をいただいたんですが、彼氏とも別れちゃったし、着て行くところがないんです」
「私で良かったら、デートする?って、それも変かしら」

―――え?千瑛(ちあき)さんとデート?
一瞬驚いた様子の凛々(りり)だったが、彼に誘われて嬉しくないはずがない。

「しますっ。千瑛(ちあき)さんとデート」

何気なく言ったことなのに元気に『しますっ』なんて言われて、千瑛(ちあき)は不思議な気持ちになっていた。
中身は男のままでも、外見は女の自分が女性を好きになることなんてもうないと思っていた。
なのに…。
女として生きる道を選んだことに後悔はしていない。
でも…。

「どこに行きましょうね」と嬉しそうに話す凛々(りり)を見ていたら、そんな迷いもどこかになくなっていた。

+++

それからすぐの週末、デートと称して凛々(りり)は千瑛(ちあき)お勧めのおしゃれなショップを案内してもらうことにした。
もちろん、彼に選んでもらった服を着て。

「千瑛(ちあき)さん、遅くなってごめんなさい」
「ううん、私もたった今来たところだから。あぁ、でもすっごく似合うその服。それに凛々(りり)ちゃんは、小物を合わせるのも上手だから余計に素敵」
「ありがとうございます。どうしましょう、そんなふうに千瑛(ちあき)さんに言われると嬉しくって舞い上がっちゃいます」

付き合っていた彼からは、ひと言もそんな言葉を掛けてもらうことはなかったから、ものすごく嬉しい。
特に売れっ子デザイナーという職業の彼に言われると、尚のこと。
何だろう、やっぱり自分の一番好きなことっていうか、自信がある部分を褒められるとこんなにも嬉しいものなのか。

彼が連れて行ってくれるのは、一見通り過ぎてしまいそうな小さなショップだったりするのだが、さすがプロは目の付け所が違う。
コーディネートの仕方やアレンジの仕方を教わりながら、ウィンドウショッピングを楽しんでいると、時間の経つのも忘れてしまうくらい。

「もう、こんな時間。お腹、空きましたね。今日は私の奢りですから、何でも好きなものを言って下さいね」
「あら、いいのに。だって、誘ったのは私の方なのよ?」
「だって、いっつも千瑛(ちあき)さんに奢ってもらってばかり。さっきだって、これ買ってもらっちゃったし。だから、今度こそあたしに奢らせて下さい」

今日こそは凛々(りり)がと思ってきたのに可愛いネックレスに一目惚れしてしまい…それを千瑛(ちあき)さんが買ってくれたのだ。
自分が払うと言ったのに彼が品物を持ってレジに行ってしまって…。
だから、食事だけは絶対にあたしが。

「気にすることないんだけど、わかったわ。凛々(りり)ちゃんに任せる」
「はいっ」

二人は、凛々(りり)が雑誌でチェックして行ってみたいと思っていたリストランテに行くことにする。
『何でも好きなものを言って下さいね』と言っておきながら、結局は自分の行きたいところにするあたりが、まだまだである。

「今日は、すっごく楽しかったです。今までで、一番のデートでしたよ?」
「ほんと?」
「はい。迷惑でなかったら、千瑛(ちあき)さんのこと誘ってもいいですか?」
「私を?それは構わないけど、そんなことをしていたら彼氏ができないんじゃない?」
「いいんです。千瑛(ちあき)さんと一緒にいる方が、ずっと楽しいし」

仲良しの知衣(ちえ)と一緒にいるのとも違う、なんと表現していいかわからないが、千瑛(ちあき)さんといるとものすごく楽しいし心地いい。

「そう言ってもらえるのは、嬉しいけど…」
「あぁ〜ぁ、千瑛(ちあき)さんが男の人に戻ってくれたらなぁ。あたし、絶対惚れちゃう。っていうか、もうかなり惚れちゃってるんですけどね」

この言葉に意味などなかった。
ただ、これは純粋に凛々(りり)が思ったことだったのだが…。

「そんな勝手なこと、言わないで。私を惑わせないで」
「え…千瑛(ちあき)さん。あたし、そんなつもりで…」

「言ったんじゃないんです」と凛々(りり)は慌てて謝ったが、彼は黙ったままそれ以上は何も言ってくれなかった。

+++

――― 千瑛(ちあき)さん…。
怒っちゃったんだろうな…。

はぁ…。

何度、溜め息を吐いたかわからない。
あの日、つい口から出てしまった凛々(りり)の言葉に彼は深く傷ついたに違いない。

「凛々(りり)、急に呼び出したりして。また、何かあったの?」
「知衣(ちえ)、ごめんね」
「いいんだけど、どうしたの?」

「実は…」

携帯にメールを入れても、すぐに返事をくれた彼からは未だに返って来ない。
凛々(りり)はどうしていいかわからず、知衣(ちえ)に相談することにして、迷惑だと承知の上で呼び出した。

「千瑛(ちあき)さんを怒らせちゃった」
「えっ、千瑛(ちあき)を?あんなに仲が良かったのに何でまた」

知衣(ちえ)は偶然だったが二人を会わせた時から気が合ってるなと思ったし、仲良くしているとも彼から聞いていた。
それに温厚な千瑛(ちあき)が怒るとはとても思えないのだが、一体何があったのか…。

「あたし、千瑛(ちあき)さんと一緒にいると楽しくて。つい、男の人に戻ってくれたらなぁなんて言っちゃったの。そうしたら、『勝手なこと、言わないで。私を惑わせないで』って」
「そう言ったの?千瑛(ちあき)が」

黙って顔を縦に振る、凛々(りり)。
恐らく、彼女はそう思ったからそう言っただけで、正直に気持ちを口にしたのだろう。
それに対して、彼の答えは…。
まさか…。

「ねぇ、凛々(りり)。凛々(りり)は千瑛(ちあき)のこと、どう思ってるの?」
「どうって?」
「聞いたんでしょ?彼がどうして女になったのかって話は」
「うん、聞いた」
「もう一度聞くわね。凛々(りり)は彼のことをどう思ってるの?女として見てる?それとも男として?」

―――それは…。
心は男の人なのだと聞かされたから、外見は女でもあたしには、どこかで男の人と見ている部分があったと思う。
だから、姿が男の人に戻ったら…。

「男の人として見てると思う」
「惚れちゃった?」
「うん」
「そっか、だから」
「え?」
「彼もそうなのよ。多分の話なんだけど」

知衣(ちえ)の言っている意味が、凛々(りり)にはよくわからない。

「どういう意味?」
「うん、千瑛(ちあき)も男として凛々(りり)を見てるってこと。でも、自分は女を選んだわけじゃない?その時点で恋も捨てたってことなのよ。なのに、凛々(りり)にそんなことを言われたらねぇ」
「えっ、千瑛(ちあき)さんが?」

―――うそ…。
千瑛(ちあき)さんが、あたしのこと…。

「まぁ、ここはそっとしておいてあげましょう。大丈夫よ、怒ったりしてるわけじゃないと思うし。心配なら、あたしからそれとなく聞いてあげるから」
「うん、お願い」

―――このまま、彼と逢えなくなっちゃうのは嫌。
また、前みたいに逢って話がしたい。

+++

すぐに知衣(ちえ)は千瑛(ちあき)に連絡を入れたのだが、どうやら仕事で海外に行っているらしいとのこと。
だから、メールの返事が来ないのではないか。
一週間後には帰ってくるというので、それを待ってみることにする。

そんなある日、席を外していた凛々(りり)が戻って来ると着信メールが1件。

―――あっ、千瑛(ちあき)さんから。

待ちに待った彼からのメール。
だけど、開けるのが怖い…。
怒っていたら、どうしよう…。

そっと席を立つと、人気のないところに場所を移す。
暫く悩んでいたが、思い切ってメールを開けると―――。

『凛々(りり)ちゃん、メールの返事が遅くなってごめんね。今夜、話したいことがあるからオフィスに来てくれる?』

話したいことって何だろう…。

取り敢えず、『はい』って返事を返したが、不安な思いはどんどん募るばかりだった。



定時になると同時に席を立ち、急いで千瑛(ちあき)さんのいるオフィスに向かう。
しかし、今回は前回と違って足取りが重い。

凛々(りり)のことを既に聞いていたのだろう、応対してくれた女性に案内されて彼のいる部屋に入る。

「千瑛(ちあき)さん、あの…あたし、ごめんなさいっ。あんなこと言って。だから、あたしを嫌いにならないで下さいっ。お願いします」

入るなり、ダーっと一方的に謝罪して頭を下げた凛々(りり)に千瑛(ちあき)は優しく声を掛ける。

「凛々(りり)ちゃん、もう謝らなくてもいいから。頭を上げて」

そっと、彼の手が肩に触れる。
―――うそ…。
千瑛(ちあき)さん、どうして…。

そこにいたのは、千瑛(ちあき)さんであって、千瑛(ちあき)さんでない。
これじゃあ、何を言っているのかさっぱりわからないかもしれないが、姿が全く違うのだ。
綺麗な顔は変わらないが、髪も短くなって、何気ない白いシャツにパンツといういでたちがとてもカッコいい。

「千瑛(ちあき)さん」
「どうかな?少しは男らしくなったと思う?でも、言葉遣いが難しくてね」

「ずっと、女性の言葉遣いをしてたんでね。忘れたよ」という彼は、すっかり男性に変身してる。
一体、どうして?
あたしが、あんなことを言ったから?

「どうして」
「もう一度、男に戻ってみようと思って。そうしたら、好きな子にも振り向いてもらえるかもしれないから」
「好きな子?」
「あぁ」

微笑む彼に思わず涙が出そうになる。

「千瑛(ちあき)さん…」
「凛々(りり)ちゃんのことを嫌いになんてなるわけないよ。僕の方が嫌われたんじゃないかって、出張中も気が気でなかった」

嬉しくて、思わず凛々(りり)は彼の胸に飛び込んだ。
あの日触れた柔らかい物はすっかりなくなって、その代わりしっかりとした胸板に男の人を感じる。
そして、ぎゅっと背中を抱きしめられる腕は力強い。

「千瑛(ちあき)さんが、好きです」
「いいの?僕で」
「千瑛(ちあき)さんが、いいんです」

凛々(りり)も自然に彼の背中に腕を回していた。
優しくて、素敵でカッコよくて、こんな彼氏は世界中探してもどこにもいない。

「僕も、凛々(りり)ちゃんが好きだよ。可愛らしくて、おしゃれな君が」

頬に触れる手が心地良くて、余計に涙が溢れてしまう。
そんな凛々(りり)の頬に伝う雫を千瑛(ちあき)は丁寧に指で拭うと、定めたようにくちづける。
人を好きになるという感覚を忘れていたわけではないが、こんなふうに想いが通じる日が来るとは思わなかった。
それを彼女が思い出させてくれたのかもしれない。

唇が離れると名残惜しくて、再び重なる。
いつまでも、二人は部屋を出てくることはありませんでした。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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